ロバート・イーズ

2002/07/03 メディアボックス試写室
女性から男性に性転換したロバート・イーズの最後の日々。
性同一性障害を取材したドキュメンタリー映画。by K. Hattori

 最近日本の学校では生徒の名簿を男女別に作らず、男女まぜこぜの混成名簿を作るのが流行している。男女別の名簿はしばしば「男子が先、女子が後」という差を生み、それが男女差別を生み出す原因になるのだという。その理屈で言えば、五十音別に名簿を並べるのは「安部さん」を「渡辺君」より常に優先するという意味で差別に当たるのではないか? いやいや、こんなことを言ってはいけない。そもそも名前を「女性は“さん”付け」「男性は“君”付け」で呼ぶことすら差別らしい。最近の学校では男の子も女の子も、すべて“さん”付けだ。こうした動きは、社会のジェンダー・フリー化を進めるために必要なこととされている。

 ジェンダーとは人間が生まれたときに持つ性器や染色体による性別ではなく、生まれた後に環境や文化から後天的に身につけさせられる性役割のことだ。どんな文化の中にもその文化固有の「男らしさ」や「女らしさ」という規範があり、その規範に沿う形で子供は育てられ成長する。だがこうした「らしさ」の押しつけが、人間本来の個性や能力を抑圧することも多い。特に女性に「女らしさ」を押しつけることで、女性の社会進出や社会的な発言能力が著しく制限されてきたという歴史がある。ジェンダー・フリーとはこうした「らしさ」の押しつけを社会から排除し、「男らしさ」「女らしさ」ではなく、それぞれの個人がありのまま尊重される社会を作ろうとするものだ。

 僕は社会的に極端な「男らしさ」「女らしさ」が強制されるような社会(例えばナチスの青年運動などが極端な例)を嫌悪するが、だからといって最近のジェンダー・フリー論にも疑問を持っている。男女の「らしさ」を決めるのは、必ずしも後天的な教育や環境のせいだけではない。男の子が「男らしくなりたい」と考え、女の子が「女らしくなりたい」と考える大きな要素として、先天的な脳の働きがあることが、最近はよく知られるようになっている。

 脳の働きであれなんであれ「先天的な男女差」をジェンダー・フリー論者はあまり認めたがらないのだが、最近いろいろとマスコミでも取りざたされている「性同一性障害」はそこにくさびを打ち込んでしまう。性同一性障害を持つ人の多くは、男の子として育てられたのに「女になりたい」と願い、女の子として育てられても「男になりたい」と願う。しかもそこで求められるのは、「女らしさ」や「男らしさ」のステレオタイプだったりするのだ。

 何ら社会的な規範を持たぬ個性など、結局は脆弱な根無し草ではないだろうか。この映画に登場するロバート・イーズは、バーバラという女性として生まれ、子供の頃から女の子として育てられたが、結婚して子供を産んだ後に性転換して男性になった。“彼”の個性、その強さや格好よさは、彼自身が「男という性役割」にどっかりと腰をすえているところから生まれているように思う。

(原題:ROBERT EADS)

2002年秋公開予定 BOX東中野
提供・配給:パンドラ、ボックスオフィス 
宣伝協力:グアパ・グアポ 問い合せ:パンドラ
(2000年|1時間30分|アメリカ)

ホームページ:http://www.pan-dora.co.jp/

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関連和書:性同一性障害
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