ホ・ギ・ラ・ラ

2002/03/27 アミューズピクチャーズ試写室
捨てられた子供たちが作る南の楽園ホギララの物語。
この映画は何が言いたいのかしらねぇ。by K. Hattori

 今からそう遠くない近未来。環境汚染にさらされ不治の病を身に受けた子供たちは“GOMI”と呼ばれ、行政によって廃棄処分されることになった。GOMIとして海洋投棄のドラム缶に詰められ海に投げ出された少年は、美しい緑の島に泳ぎ着く。そこは彼と同じような少年少女たちが暮らす楽園のような島ホギララ。島にいる数人の子供たちは、リーダー格のカヌララによってひとつにまとまり、自給自足の生活を送っている。島に流れ着いた少年はカヌララから「ヌラ」とい名を与えられ、島の共同体の一員になった。だが投棄されたGOMIたちが生き続けることを好ましく思わない政府は、最終的な廃棄物処理班を島に送り込む。

 原案・監督は『クリスマス・イヴ』の雑賀敏郎。出演は『いきすだま〜生霊』の松尾雄一・光治兄弟(DOGGY BAG)と『SFサムライ・フィクション』『Juvenile』の緒川たまき。ヌラを演じるのは『アイ・ラヴ・フレンズ』や『赤い橋の下のぬるい水』に出演している落合扶樹(もとき)。わかりやすくてチャーミングな日本映画の普及を目指し、制作・配給・興行・技術・映像学校が共同で作ったレーベル(ちらしのより引用)「ガリンペイロ」の第1回作品だ。DLP上映ということは、もともとHDビデオで撮影されているのだろう。

 レーベルの設立趣旨とは裏腹に、僕にとってこの映画はひどくわかりにくくつまらないものに思えた。「ホギララ」という人工的な楽園が、欺瞞だらけの偽善的空間に見えてしまうのはなぜなんだろうか。ディカプリオ主演の『ザ・ビーチ』は、同じような南国の楽園を描きながらも、その欺瞞と偽善を引っぺがしてみせた。ヴェルヌの「十五少年漂流記」を踏まえたウィリアム・ゴールディングの小説「蝿の王」は、南の島に漂着した少年たちの残虐性を詳細に描写してくれた。でもこの『ホギララ』には、そうした裏がまったくない。この島に集う少年少女は島に来る以前の生活をすべて捨て去り、島独特の文化と習俗をゼロから身につけることで、無垢な人間へと生まれ変わる。登場するのはすべて日本人であり、彼らは日本語だって喋ることが出来る。でも彼らはあえて日本語を捨て、ピジンかクレオールのようなホギララ語で会話をする。草を円形に刈り取った場所にひざまずき、わけのわからない疑似宗教の祈りを捧げる。着ている服は人工染料で原色に染められ、履いているサンダルはかかとにエアクッションが入っている。髪を脱色して金色にしている子供もいる。彼らはどこからこうした物資を調達してきているんだろうか。映画からはホギララ島の生活を裏付ける設定がまったく見えてこない。

 少年少女の無人島漂着とサバイバルと言えば、今からちょうど10年前に『喜多郎の十五少女漂流記』という駄作が作られている。しかし驚くべきことにこの『ホギララ』は、それより作品規模が小さい分だけさらにショボイ映画になっているのだ。あとさ〜、30歳の緒川たまきが12歳の少年と子作りするのは淫行じゃないの?

2002年4月20日公開予定 テアトル池袋
配給:ギャガ・コミュニケーションズKシネマグループ
宣伝協力:シネマ・クロッキオTHE 3RD UNIT

(上映時間:1時間36分)

ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/hogilala

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主題歌CD:Cosmo Miu Miu [MAXI](坂本美雨)
関連DVD:雑賀俊郎監督
関連DVD:松尾光次
関連DVD:緒川たまき

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