溺れる人

2002/03/27 シネカノン試写室
風呂場で溺死したように見えた妻が翌朝には生き返った。
夫婦の間に起きた事件が夫婦関係を蝕む。by K. Hattori

 トキオはソファーの上で目を覚ました。酒を飲みながら、いつの間にか横になりそのまま寝てしまったらしい。部屋の明かりもテレビも、だらしなく付けっぱなしだ。部屋には妻クミコの姿がない。もう寝たのか? 浴室に明かりがついている。外から呼びかけても返事がない。そっと浴室のドアを開けてみると、クミコは浴槽の中に沈んで死んでいた……。トキオはパニックを起こす。こんな時、どうすればいいのか。救急車を呼ぶのか。それとも警察か。なぜ死んだ。いつの間に。本当に死んでいるのか。息をしていない。心臓も止まっている。それは何度も確かめたじゃないか。でも見た目はいつものクミコそのままだ。まるで眠っているようにも見える。自分はこんなにあわてているのに、風呂場で死んだクミコは知らん顔をしている。当たり前だ、死んでいるんだもの。俺は死人に何を期待しているんだ……。そんな思いがトキオの中でぐるぐると渦巻く。結局彼は消防にも警察にも電話しないまま、翌朝を迎えてしまう。目が覚めたとき、クミコはちゃんと生きていた。「昨夜のことは記憶がなくて」と言うクミコに、「風呂の中で倒れてたんだ」と答えるトキオ。「君は昨夜死んでたんだ」と言えないまま、夫婦の日常が再び戻ってくる。だがそれは、かつての日常とはまったく違うものだった……。

 妻クミコを演じているのは片岡礼子。夫トキオを演じるのは塚本晋也。登場人物はほぼこのふたりに限定され、物語の舞台になるのもふたりの暮らすマンションの部屋に限定されている小さな映画だ。風呂場で死んだクミコがなぜ生き返ったのか? そもそもクミコは本当に死んだのか? これはこの映画の大きな謎のひとつだが、その謎の解明がこの映画のテーマではない。クミコの短い死と蘇生は、この夫婦の間に起きたきわめてパーソナルな出来事だ。しかもクミコには当日の記憶がないから、この事件は「夫婦の間」に起きた出来事であると同時に、トキオの個人的な思い入れの問題になってしまう。「いいじゃないの、結局何もなかったんだから」で済ませてしまうクミコに対し、トキオは当時の自分の気持ちや思いをどうしても伝えられないいらだちを感じる。夫婦の間に生じた大きな断絶。同じ事件の当事者でありながら、夫婦の認識が格も違うものなのか。

 トキオは事件の前後でクミコの人格が変化したという不信感を持つのだが、これは夫婦の間に生じた断絶が生みだした幻影のようなものだと思う。かつてはあれほど互いに理解し合えていたはずなのに、今は何を言っても相手に何も通じない。そんな思いが、クミコに対する不信感としてトキオの中に巣くってしまう。クミコはそんなトキオに、何をすることもできない。ふたりの関係の変化は、クミコの体の冷たさや、部屋の中に漂う腐臭という具体的な変化として、夫婦を包み込んでいく。

 製作・監督・脚本は一尾直樹。自らの離婚体験から生み出されたきわめてパーソナルな映画だというが、映画が描いているのは普遍的な夫婦像にも思える。

2002年5月下旬公開予定 ユーロスペース(レイト)
配給:ゼアリズエンタープライズ

(上映時間:1時間22分)

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