《1st Cut 2001》
フィクション部門(1)

2001/11/13 映画美学校第2試写室
映画美学校の生徒たちが作った短編劇映画3作品。
どれも似たような先行作品があって新鮮味なし。by K. Hattori

 映画美学校の生徒たちが作った短篇映画を特集上映する『1st Cut』から、フィクション部門3作品の試写を観た。フィクション第4期初等科から宮川和浩監督・荒野久美脚本の『つもってゆく…』、鎌田優子監督の『Zero』、フィクション第3期高等科から内田雅章監督の『蘇州の猫』。以下順番に内容と感想。

 『つもってゆく…』は結婚5年目を迎えた夫婦の物語。林夫妻は自宅で校正の仕事をしている妻と、会社勤めの夫のふたり暮らし。子供はないが、このまま夫婦二人の生活を守っていくのも悪いことではあるまいと思っている。ところがある日、妻は部屋の床に落ちている綿ぼこりが気になって掃除を始め、それが止まらなくなってしまう。掃除をしても掃除をしても、次々に部屋の中に降り積もってゆく綿ぼこり。妻は朝から晩まで部屋に掃除機をかけ続ける。やがて夫も妻の異変に気づく。子供のいない家庭の中で、静かに精神的なバランスを崩していく妻という物語は、篠崎誠監督の『おかえり』があるし、君塚匠監督の『おしまいの日』もある。こうした作品に比べて、『つもってゆく…』の新しさはどこにあるのか。あふれ出すコーヒーの描写で、夫の側もまた家庭に対して何かしらの不安を抱えていることが暗示されているようにも思うが、それが映画の結論に結びついているようにも思えない。ちょっと消化不良な感じがした。

 『Zero』は10年ぶりに再会した異母姉弟の物語。父親が亡くなり、家の中で義母に虐待され通しだった姉と、そんな姉を慕い守りたいと願う弟。弟は母を殺そうと決意し、ふたりで庭にある細工をする。足もとの悪い庭にとがった石を埋め、母が転んだ拍子に頭をぶつけて死ぬことを願ったのだ。だがこんな遠回しな計画がすんなりうまくいくはずもなく、姉は家を出て姿を消してしまう。10年後に母が本当に死ぬと、姉が家に戻ってくる。姉弟の間にある近親相姦的な関係と親殺しというモチーフは、行定勲監督の『閉じる日』を連想させる。『Zero』の中心にあるのは姉弟による罪の意識の共有。それは母に対する殺意の共有であり、実際に自分たちの手で母を殺したという罪の共有であり、半分血のつながった姉弟の秘められた関係の共有でもある。話はともかく、芝居の演出が下手くそ。弟が実母に反抗するシーンには緊張感がないし、姉がジャムを食べるシーンも不自然。紋切り型の表現が目だって、ちょっともったいない。

 『蘇州の猫』はちょっと変な映画だった。小さな引き出しを介して、2001年の女性と1999年に暮らす耳の聞こえない男性が手紙のやりとりをするという話。時空を超えた手紙のやりとりというアイデアは、韓国映画『イルマーレ』に似すぎ。しかしこの映画には、主人公と旧ルームメイトの関係や、就職したへんな会社の描写などがあって、むしろこちらの方が面白い。2年を隔てた手紙のやりとりには何のリアリティもないが、それ以外の日常描写は結構面白いのだ。脚本と演出にもうひとひねりあってもよかったかも。

2002年1月19日公開予定 ユーロスペース(レイト)
配給・問い合せ:映画美学校

(上映時間:合計1時間40分)

ホームページ:http://go.to/1stcut/

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