血の記憶

2001/09/07 シネカノン試写室
イタリアのサレント地方に伝わる民族音楽ピッツィカータの迫力。
ドラマは二の次。後半の演奏シーンだけがすごい。by K. Hattori

 イタリア半島はかかとの高い長靴の形をしているが、そのとがったかかとにあたる部分がサレント半島だ。南はターラント湾。東はアドリア海と地中海を結ぶオトラント海峡。目と鼻の先はバルカン半島のアルバニアだ。ワインの産地として知られているが、南イタリアの他の地域同様、この地方の生活も概して貧しいものだ。サレントの小さな町に住む45歳のピーノは、妻とふたりの子供を養うために密輸商売をしている。町の顔役の配下となって、アルバニアから物や人を運ぶのだ。彼はピッツィカータと呼ばれるサレント音楽のバンドを組むミュージシャンでもあるのだが、タンバリンの名手だった弟が最近よからぬ仲間とつるんで麻薬に溺れているのが気がかりでしょうがない。自分の裏稼業の件で裁判もあることだし、顔役からは別件の仕事でアルバニアにまた行くようにとも命じられている。妹がレコード会社のプロデューサーを連れて、村祭りでピーノのバンドが演奏するのを聞きに来てくれるというのに、彼の生活周辺は何から何までチグハグなのだ。それもこれも、父親が死んで家族の絆というタガが緩んだせいか……。

 主人公ピーノ・ズィンバを演じているのは、ピッツィカータの演奏家として有名な同名のミュージシャン。ピッツィカータをメジャーな音楽シーンに紹介したいという情熱や刑務所帰りだという過去も含めて、ピーノという人物像には演じているピーノ・ズィンバ本人のキャラクターが色濃く反映しているらしい。監督はこの映画の中でも演奏されているピッツィカータに惚れ込み、それをテーマに映画を撮ろうとしたのだろう。ミュージシャンが主演してミュージシャンの映画を作る。つまりこれは音楽映画なのです。映画のBGMとしては当然ピッツィカが使われ、映画の後半には演奏シーンがぎっしり詰まっている。しかしこの映画、音楽映画として観るにはドラマ作りのテンポが弱いし、何より全体のトーンが暗く重苦しいのが欠点だと思う。サレント地方の暮らしがどんなに貧しかろうと苦しかろうと、音楽を通してそれを跳ね返していくような筋立てになっていると、もっと音楽も生きてきたように思うのだけれど……。

 とにかく映画の前半がつまらない。家族同士のベタベタした描写が続くばかりだし、登場するエピソードも明るい話題がひとつもない。なにより前半には音楽がほとんどない。映画が生き生きと動き始めるのは、映画の後半になってピーノの演奏シーンが登場してからだ。物語はともかく、この演奏は確かに凄い。タンバリンを打ち鳴らすリズムが強烈だ。オーケストラに使うタンバリンはせいぜい直径25センチ程度だが、ピッツィカータで使用するタンバリンは直径が60センチぐらいありそう。それを左手で降りながら右手の指で強く叩き、複雑なリズムを作り出していくのだ。これにあわせて群衆が踊りまくる祭りのシーンがこの映画の白眉。もともと毒グモに刺された人を癒すために演奏されたと音楽だというから、呪術的な意味合いがあるのでしょう。

(原題:SANGUE VIVO)

2001年11月公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:ケイブルホーグ
(上映時間:1時間36分)

ホームページ:http://www.cablehogue.co.jp/

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