みすゞ

2001/08/28 映画美学校第2試写室
幻の童謡詩人・金子みすゞの生涯を田中美里主演で映画化。
監督は『地雷を踏んだらサヨウナラ』の五十嵐匠。by K. Hattori

 童謡詩人・金子みすゞの生涯を、『地雷を踏んだらサヨウナラ』の五十嵐匠監督が映画化した作品。金子みすゞは「幻の童謡詩人」と言われているが、ここ数年ものすごく人気が高まっている。大きな書店に行くと、詩歌の棚の一角に「金子みすゞコーナー」ができているほどだ。昭和5年に26歳という若さで命を絶ったみすゞの作品の中で、おそらく最も知られているのは「朝焼小焼だ/大漁だ/大羽鰮の/大漁だ。/浜は祭りの/ようだけど/海のなかでは/何万の/鰮のとむらい/するだろう。」という「大漁」と題された童謡だろう。この作品に出会ったことをきっかけに、児童文学者の矢崎節夫が金子みすゞについて調べ、散逸していた作品を集め、その生涯についてまとめあげた。昭和59年に最初の全集発行。つまりほんの十数年前に、それまで忘れ去られていた金子みすゞは発掘され、再評価されるようになったのだ。今年はこの映画『みすゞ』が公開され、TBSでは開局50周年記念作品として「明るいほうへ明るいほうへ・童謡詩人金子みすゞ」を松たか子主演でドラマ化し、みすゞの生涯を舞台化する計画もあるように聞く。死後70年以上を経て、みすゞは現代に蘇る。

 映画『みすゞ』は暗い映画だ。ひとりの天才詩人が地方の小さな町に生まれ、才能のきらめきを見せながらも、その地域社会の中で埋もれて消えてしまう。地縁血縁に結ばれた人間関係の網の中で、類い希なる感性を持ったひとりの女性が、自らの才能と人間関係の双方に引き裂かれるように命を絶ってしまう。これはある種の悲劇だろう。みすゞの生涯を「戦前の家父長制の下で虐げられた女性の悲劇」と読みとることもできるかもしれないし、「地方に生まれた天才の苦しみ」と解釈することも可能かもしれない。しかしこの映画は、そうしたわかりやすい解釈をしない。この映画の中のみすゞは、その人間像がひどくつかみにくい人物だ。何を考えているのかよくわからない。冷たい微笑みを浮かべたその表情の下に、どんな感情を隠しているかもわからない。この映画は確かに金子みすゞを主人公にしているが、むしろ生き生きと描かれているのは彼女の周囲にいる脇役たちだ。

 この映画は身近に天才を持ってしまった凡人たちの戸惑いを、じつに生々しく描いている。天才は何を考えているか常人には理解できないからこそ天才なのだ。その才能の輝きは、どんな境遇にあっても押しつぶされることがない。みすゞを演じているのは田中美里だが、この映画の彼女は全編を通じて他の登場人物達から浮きあがっている。彼女はこの映画が微細に描き出す大正から昭和初期の地方都市の中に、明らかになじまない人物なのだ。彼女が東京に出ていく機会があれば、そこにはもっと別の人生が開けていたかもしれない。しかし彼女は本物の天才なので、自分の才能に無頓着すぎた。天才は平凡な生活など送れない。しかし彼女自身は、平凡な生活の中に自分の幸せを見出そうとした。そのアンバランスさが、結局はみすゞの悲劇になったのだと思う。

2001年10月下旬公開予定 シネ・ラ・セット、新文芸坐
配給:シネカノン
(上映時間:1時間45分)

ホームページ:http://www.kinokuniya.co.jp/

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