少年義勇兵

2001/08/08 徳間ホール
1941年12月8日。日本軍と戦ったタイの少年義勇兵の実話。
『パール・ハーバー』に激怒した人はこれを観よ。by K. Hattori

 1941年12月8日。日本軍は英領マレー半島コタ・バルへの奇襲敵前上陸作戦と、ハワイ真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争に突入する。マレー半島の日本軍が目指したのはシンガポール。大量の兵員を運ぶにために、日本軍は当時中立国だったタイ領内を通過する必要があった。だが戦争が起きた際に日本と連合国側のどちらに付くか決めかねていたタイ政府は、日本軍が上陸を始めた12月8日になっても態度を決めかねていた。このため沿岸では次々に上陸してくる日本軍とタイ軍とのあいだで激しい戦闘が起きる。結局タイ政府は日本の圧力に抗しきれないと判断し、8日の昼前には日本軍のタイ領内通過を承認。未明から数時間に渡って続けられた日本とタイの戦争は、こうしてあっけなく終わる。この時国土防衛のため戦い抜いたタイ軍の中には、まだ年端もいかない「少年義勇兵」たちの姿があった。

 物語は1941年の5月に始まる。タイ東岸の小さな町チュンポーンにやってきた若い将校が、地元の高校で義勇兵の募集をする。タイはこの時点でどの陣営にも属さない中立を守っていたが、周辺国の情勢を見る限り、やがてタイの領土が外国に侵略されることは目に見えていた。敵になるのが日本人なのか白人なのか、それはこの時点ではわからない。だが東南アジアで孤高の中立を守るタイが、戦略的な真空状態になっていることはもはや許されない情勢だ。義勇兵には高校生のほとんどが志願し、厳しい訓練が続けられる。だが副知事の息子プラユットと、最近町にやってきたマールットの間はいつもギクシャクしている。マールットの姉は日本人の写真屋と結婚しており、プラユットは日本人を義兄に持つマールットを「日本のスパイ」とからかうのだ。義兄を尊敬しているマールットだが、スパイという言葉で彼の愛国心が傷つけられるのは許せない。ふたりは同じ町のチッチョンという少女に想いを寄せ、恋の鞘当てが繰り広げられるのだ。そしていよいよ12月8日がやってくる。

 映画の前半を義勇兵の厳しい訓練と少年少女の三角関係にあて、映画後半では主人公たちが日本軍の奇襲攻撃に抵抗する姿を描くという意味で、これはマレー半島版『パール・ハーバー』みたいな映画だ。しかし大味でピントのずれた『パール・ハーバー』に比べ、この映画はテーマも明確だしエピソードの構成にも無駄がない。観客は素直に主人公たちに感情移入できると思う。難を言えば上陸してくる日本兵の装備がどう見ても日本陸軍には見えないことなのだが、このあたりは大目に見ておいても構わないと思う。重要なのは少年義勇兵の少年たちがいかに戦ったかということであって、日本軍の描写が正確か否かは二の次だからだ。『パール・ハーバー』における日本描写のあまりのお粗末さに頭を抱え、不愉快になった人たちも、この映画には満足できるのではないだろうか。この映画はいろいろな見方ができると思う。日本のアジア侵略の歴史を侵略された側から描いた映画という見方もできるが、むろんそれだけではない映画だ。

(英題:)

2001年10月中旬公開予定 シネマカリテ
配給:東光徳間
(上映時間:2時間3分)

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