RED SHADOW 赤影

2001/08/02 東映第1試写室
往年のテレビ時代劇「仮面の忍者赤影」を映画にリ・イマジネーション。
なんでこんな映画になっちゃうのかなぁ。悲しいよ。by K. Hattori

 昭和40年代にテレビ放送されていた子供向けの時代劇ドラマ「仮面の忍者赤影」をモチーフに、『SF/サムライ・フィクション』の中野裕之監督が作り出した映画版。一応原作は横山光輝の「仮面の忍者赤影」ということになっているが、内容はまったく別物だから「赤影の映画版」と思っていると大いに肩すかしを食らう。テレビと映画は別のものでもいいし、オリジナル・ストーリーも大いに結構。しかし「ここだけは動かせない」という最低限のラインはどこかにあるはずで、それなしには「原作」の名が泣くのではないだろうか。『RED SHADOW 赤影』は、オリジナル版から赤影・青影・白影という名前を借りているだけで、あとはオリジナルです。もちろん設定を変更する必然性があるなら変更してもいい。コスチュームを現代風にするとか、メンバーに女性忍者を入れるとか、トレードマークの仮面をなくしてしまうというのは許せる。でも「飛騨の赤影」を正体不明の「影一族」にしてしまう理由がどこにある? 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃」という時代設定や、赤影たちが秀吉の軍師・竹中半兵衛配下の忍びであるという設定を変える必然性がどこにある?

 僕は横山光輝の原作読者ではないが、少なくともテレビ版赤影について言うなら、オリジナル版「仮面の忍者赤影」は竹中半兵衛や木下藤吉郎と繋がることで実在の歴史と地続きのフィクションとなっている面白さがあった。半兵衛や藤吉郎と同じように、甲賀や根来の忍者衆も歴史の中に実在する。こうした現実の歴史と、荒唐無稽なフィクションの融合が「赤影」の面白さなのだ。「猿飛佐助」や「真田十勇士」などが活躍する講談や読み本の世界を、物凄くモダンにしたものとも言えるだろう。いずれにせよ、ベースにあるのは史実です。でも今回の映画『RED SHADOW 赤影』は、そうした歴史や史実から切り離されたところに存在している。赤影たちと戦う忍者の首領は「根来」を名乗っているが、これが紀州の根来忍者と関係があるとも思えないしなぁ。

 そもそも「無敵の鋼」とか「影一族」というのが無意味。こうした設定を持ち出すなら、物語そのものを無敵の鋼の争奪戦にするとか、平和を守るために歴史の裏側で働いてきた影一族が戦国大名の配下になってしまうジレンマをテーマにするとか何か物語にからめていく工夫がほしい。また具体的に物語に年代を持ち込むなら、最低限の歴史考証ぐらいはしておくべき。鉄砲伝来からわずか2年で、無名の田舎大名が何十挺も鉄砲を持てるわけがないだろうに。忍び装束や武器が現代風なのは構わないが、普通の侍たちの格好が時代区分バラバラなのも困る。鎧だって着物だって、時代によって違うのだよ。

 少なくともかつては時代劇の総本山であった東映が、創立50周年記念と称してこういう映画を作ってしまうのはどんなもんなのか。ビジュアル面では中野監督のセンスを生かすにしても、脚本段階でもうちょっと注文を出しておくべきだったんじゃないかなぁ……。

2001年8月11日公開予定 全国東映系
配給:東映
(上映時間:1時間48分)

ホームページ:http://www.red-shadow.com/

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