ドラキュリア

2001/08/01 徳間ホール
100年の時を経てドラキュラがロンドンで復活。
ウェス・クレイヴン製作総指揮の吸血鬼神話。by K. Hattori

 世紀末の1897年に出版されたブラム・ストーカーの怪奇小説「吸血鬼ドラキュラ」。だがそれが想像力豊かな作家の創作ではなく、事実を元にしたノンフィクション・ノベルだったとしたら……。21世紀を目前に控えた西暦2000年。ロンドンにある私設博物館の地下金庫から、1つの棺が盗み出された。強盗たちはそれを宝石箱か何かと勘違いたのだが、じつはそれこそ今から100年以上前、博物館の創立者ヴァン・ヘルシングがドラキュラを捕らえて封印した棺だった。じつは現在の館長であるヘルシング氏こそ、100年前にドラキュラと戦った張本人。彼は戦いの中で自らの身体にドラキュラの血潮を浴び、それ以来老いることも死ぬこともできないままドラキュラの棺を監視し続けてきたのだ。棺を追ってヘルシングはアメリカに渡り、彼を追って彼を父のように慕う博物館員サイモンもアメリカへ。アメリカにはヘルシングと別れた妻の間に生まれた娘マリーがいる。ドラキュラの血を間接的に引き継いだマリーを、ドラキュラは執拗に狙っていたのだ。

 製作総指揮はウェス・クレイヴン。脚本・製作はジョエル・ソアソン。監督がパトリック・ルシエ。ヴァン・ヘルシングを演じているのが大ベテランのクリストファー・プラマーで、にわか作りのバンパイアハンターとなるサイモンを最近活躍がめざましいジョニー・リー・ミラーが演じている。ただしこの映画、敵役であるドラキュラ役が弱い。演じているのはジェラード・バトラーというまったく無名のイギリス人俳優。吸血鬼に狙われるマリーを演じるのは、ジャスティーン・ワデルというやっぱりよく知らない若い女優。プラマーが早々に退場し、ミラーもまったく頼りにならず、最後は無名俳優同士の戦いになるのでは盛り上がりに欠ける。それにこの映画のドラキュラからは、吸血鬼ものに不可欠なエロティシズムと品性が感じられない。曲がりなりにもドラキュラは東欧の貴族です。しかも人間以上の体力や能力を持ち、他人の命に寄生しながら何百年もの間その目で人間界を観察してきたという過去を背負っている。庶民であるサイモンやマリーに比べて、特殊なたたずまいのようなものがそこに感じられないとなぁ。

 ドラキュラがなぜマリーに執着するのか。マリーはなぜドラキュラの夢を見るのか。このあたりもうまく理由が付けられておらず、強盗団のアメリカ行きも含めて全体にひどく都合が良すぎる。体力で人間の数十倍とも思える吸血鬼たちの攻撃を受けて、ただの人間であるはずのサイモンがいつまでもピンピンしているというのもちょっと白けてしまう。もう少し工夫がほしかった。

 映画のクライマックスではドラキュラ誕生の秘密、なぜ吸血鬼が不老不死なのか、なぜ聖書や十字架を嫌うのかについて新説が披露されるが、この物語はそもそも「吸血鬼とは何か?」というテーマを打ち出していたわけではないから、この部分は少し唐突な感じがする。ただし、アイデアとしては面白いと思いました。

(原題:DRACULA 2000)

2001年9月中旬公開予定 丸の内ピカデリー2他・全国松竹東急系
配給:アスミック・エース 宣伝:FREEMAN
(上映時間:1時間38分)

ホームページ:http://www.asmik-ace.co.jp/

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