がんばれ、リアム

2001/07/24 メディアボックス試写室
1930年代リバプールの貧しい庶民家庭が舞台のホームドラマ。
大笑いするシーンもあるが、結末はほろ苦い。by K. Hattori

 1930年代初頭のリバプール。決して豊かではないものの、両親と子供3人のサリヴァン一家は幸せに暮らしている。長男コンも仕事について、ようやく一人前の男として認められたばかり。末っ子のリアムは間もなく初聖体拝領を迎えるとあって少し緊張気味だ。一家や近所で新年を祝ってのどんちゃん騒ぎ。だが幸せな時はあっという間に過ぎ去ってしまう。父親の務めていた造船所が突然閉鎖されたのだ……。

 監督は『グリフターズ/詐欺師たち』『ヒーロー/靴をなくした天使』『ハイ・フィデリティ』などの作品で知られるスティーヴン・フリアーズ。今までの軽妙洒脱な語り口の作品に比べると、今回の映画はずいぶんと毛色が違うように思える。1930年代版『スナッパー』みたいな人情コメディ映画かと思うと、そこにあるのは『アンジェラの灰』だったという不意打ち。ひょっとしたらこの映画は『アンジェラの灰』以上に悲惨な話かもしれないが、それを陰々滅々とした不幸として描かないところがフリアーズ流なのかもしれない。裕福な暮らしの中にも幸福と不幸が同居しているように、貧乏暮らしの中にも幸福と不幸は常に同居している。この映画は貧乏暮らしの不幸をまっすぐに見つめながら、その中にある小さな幸福を見つけだすことをおろそかにしない。

 一家の長として自信満々だった父親が、失業をきっかけにどんどん駄目になっていく。ちっぽけなプライドのために、教会の援助を拒み、日雇い仕事すらろくにありつけない。家族に負担をかけている惨めな自分。子供の稼ぎに依存しなければならない情けない自分。仕事がないというのは、単に経済的な苦境を強いられるだけでなく、その人間の自信や誇りを木っ端微塵に吹き飛ばし、人間そのものを駄目にしてしまうのだ。小泉改革と構造改革で大量失業者が見込まれる日本だけれど、この映画の父親みたいな憂き目を味わう人は多いと思う。

 この映画では末っ子リアムの初聖体拝領が大きなモチーフになっているし、カトリックとプロテスタント、アイルランド移民やユダヤ人の存在などが物語の背景にある。こうした事柄がある程度知識として頭に入っていないと、この映画はわかりにくい。伝統的に「アイルランド人=カトリック」で「イギリス人=プロテスタント(国教会)」なのだが、この映画のサリヴァン一家はカトリックでありながらイギリス人なのだ。父親が教会からの施しを拒絶するのも、日雇い仕事を得ることができないのも、「俺はイギリス人だ」「アイルランド人とは違うんだ」という自負があるからなのです。こうした父親の自負心を「ちんけなプライド」と言うこともできるのだけれど、人間なんて誰しもその人が持つ「ちんけなプライド」にしがみついて生きているものです。

 映画のラストを涙でごまかさないのはさすが。ここで観客を泣かせるのは簡単だけど、涙は観客に「ハッピーエンド」の期待を抱かせる。でもこの映画はそうならない。一家は厳しい現実を生きなければならないのです。

(原題:LIAM)

2001年晩秋公開予定 恵比寿ガーデンシネマ
配給:ザナドゥー
(上映時間:1時間31分)

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