花子

2001/07/05 映画美学校第2試写室
知的障害を持つ花子が作る「たべものアート」とは?
障害者とその家族のドキュメンタリー映画。by K. Hattori

 『阿賀に生きる』『まひるのほし』の佐藤真監督による最新ドキュメンタリー映画。京都に住む今村花子という障害者の女性が、食べ物の残りくずを畳やテーブルの上に並べて作る「たべものアート」。花子のアートを発見し写真に記録し続ける母親との関係を中心に、父親や姉を加えた家族の様子を記録した作品だ。ビデオ撮影した素材を35ミリのフィルムに焼き付けたキネコ作品だが、撮影にはPAL方式のビデオ(25コマ/秒)を使い、それをフィルム(24コマ/秒)に1:1で焼き付けている。映画を観ているとほとんど気にならないが、映画は約4%分スローモーションになっているわけだ。

 花子が畳の上に並べる残飯は、はたしてアート作品と呼べるのか? 花子はやりたいように残飯をこね合わせ、畳の上に並べているだけであって、自分ではそれをアートだなんてまったく考えていないだろう。花子の父親も「汚らしい」と思っているし、姉もまったく無関心。でも母親にとって、花子のこねくり回した残飯は紛れもなくアート作品ということらしい。う〜む。

 これは障害者と家族の話です。障害を「個性だ」などと言い繕う最近の傾向は、どこか欺瞞があって僕は好きじゃない。障害はまず大変なことだし、花子のような障害者を抱える家族の苦労は並大抵のものではない。この映画の中にも、その並大抵ではない苦労がきちんと描かれています。でもそんな苦労は、気持ちの持ち方ひとつで「苦労」から「楽しみ」に変化する。花子が畳の上にこしらえた残飯の山は、母親がそれを「アート」と位置づけた瞬間から、生ゴミであることをやめて高度な表現技術を伴う作品へと変身する。これは一種のパラダイムシフトです。この映画は似たようなパラダイムシフトを、映画を観ている観客にも体験させる。障害者を抱える家族の「大変さ」は厳然としてそこに存在するのだけれど、その「大変さ」を並大抵ではない“苦労”として一面的に捉えるのではなく、「大変だけれど、その中に面白さや楽しさが感じられること」に思えてくる。そう思わせるのは、花子の母親のにこやかな表情だろう。

 花子の母親は、障害者を持つ母親が変な親ばかぶりを発揮して「娘はアーティストよ!」と無理矢理主張しているわけではない。自分のやっていることが独りよがりな自己満足にすぎないことを半ば自覚しながら、それを楽しんでいるのだ。彼女は年中娘と一緒に行動しているわけではなく、家の中で一人で自分の時間を過ごしていることもあれば、近所の友人たちとの時間を楽しむこともある。こうした距離感が、この家の中に心理的な風通しの良さを生んでいるのだと思う。

 映画の中心になっているのは花子と母親だが、重要な登場人物として画面のあちこちに顔を出す父親や、声は出るけどついに顔出しは拒否する姉の存在感も大きい。それぞれが役割にうまくすっぽりはまって、劇映画だってなかなかこううまくはいかないというアンサンブルを奏でている。まるで筋書きのないホームドラマです。

2002年1月公開予定 ユーロスペース
配給:シグロ

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