姉のいた夏、いない夏

2001/05/16 GAGA試写室
キャメロン・ディアスが'60年代末のヨーロッパを駆け抜ける。
時代色を抑えた結果中途半端な映画になった。 by K. Hattori


 「昔はよかったなぁ」と言い出したらもう年寄りの証拠みたいだけれど、年寄りに限らず若者だって子供だって、「昔はよかったなぁ」「昔が懐かしい」「あの頃に帰りたい」と思うことはあるものです。それが自分の人生の中にある幸せだった一時期であることもあるだろうし、自分が生まれてもいない過去であることもある。僕は戦前の東京で高等遊民のような暮らしをしてみたいし、江戸時代の町人暮らしをしてみるのも悪くないと思っている。まぁそういう趣味の人はそんなに多くないかもしれないけれど、「1960年代最高!」とか「'70年代に現役でラブ&ピースやってた連中がうらやましい!」と思っている人たちは多いかもしれない。世界中の若者たちが自分たちの手で社会をより良いものへと変えようとしていた時代は、豊かさの中で何となくだらだら暮らしている今に比べて、毎日がずっとスリリングな時代だったかもしれない。

 1976年。高校を卒業したばかりのフィービーは、卒業旅行にヨーロッパに行こうと決意する。7年前の夏、恋人とヨーロッパに旅行に出たまま謎の自殺をした姉フェイスの足跡を、そのままたどってみる旅だ。あの頃の姉は輝いていた。進歩的な考えの持ち主で芸術家肌だった父親の遺志を継いで、世界を変えるために自分たちが何をすることができるのか真剣に考えていた姉の姿が、フィービーの目にはまだ焼き付いている。フィービーにとって姉と過ごした最後の日々は、18年の人生の中で「もっとも幸せだった一時期」であり、同時に若者たちが世界の主人公だった「毎日がワクワクするような時代」でもあるのだ。パリで姉の恋人だったウルフを訪ねたフィービーは、姉が死んだポルトガルまで彼と旅をする中で、姉の死にまつわる重大な秘密を告げられる。

 フィービーを演じているのは、ジョルーダナ・ブリュースター。フェイスを演じているのはキャメロン・ディアス。恋人ウルフを『日陰のふたり』のクリストファー・エクルストンが演じている。監督・脚本はアダム・ブルックス。'60年代末の出来事を'70年代から回想するという映画なのだが、劇中には当時の時代色を表す風俗描写などがほとんど登場しない。これは時代色を打ち出して「あの頃こんなことがあった」という映画にするのではなく、時代色を薄めることでいつどの時代にも通用する普遍的な物語を作りたいという狙いがあったのかもしれない。狙いはわからぬでもないが、しかしこれはかえって正体不明の映画になってしまった。

 フェイスの人生は'60年代という「時代」と分かちがたく結びついたものなのだから、その「時代」をきちんと描くことなしに彼女の人生を描くことはできないと思う。その時代の中で精一杯生きようとした結果として、フェイスは後から考えれば愚かとも思える選択をした。多くの若者たちが社会の変革を願いつつ、現実の前に挫折していった時代に、彼女は挫折を拒んで前に前にと進み続ける。その結果が悲劇を生んだんだと思うけど……。

(原題:The Invisible Circus)

2001年7月公開予定 有楽町スバル座
配給:ギャガ・コミュニケーションズGシネマグループ 
宣伝:ギャガGシネマ、ライスタウンカンパニー

ホームページ:http://www.gaga.ne.jp/invisiblecircus/


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