ローサのぬくもり
(映画祭題:アローン/ひとり)

2000/12/15 メディアボックス試写室
昨年の東京国際映画祭で好評を博したスペイン映画。
老人たちの表情が生き生きしていて面白い。by K. Hattori


 昨年の東京国際映画祭に、『アローン/ひとり』という邦題を付けて出品されたスペイン映画。僕は試写状を観ても同じ映画だと気付かず、映画を観る前にプレス資料に目を通していてようやく気付いた。僕はこの映画を特別高く買っているわけでもないのだけれど、映画祭の時は僕の隣に座っていた人がボロボロ泣いていたから、たぶんある人たちにとっては感動的な映画なんだと思う。

 監督は新人のベニト・サンブラノ。脚本も彼が書いている。都会で一人暮らしをしている35歳の独身娘のところに、同じ町の病院に入院した夫の付き添いをするため母親ローサがやってきて短い同居生活をする話です。階下の部屋に住む老人と母親の交流が、物語のもうひとつの大きなモチーフになっている。

 母親とマリアは対照的な人物として描かれています。暴力を振るう夫に従順で、万事控えめな母。いかにも田舎のおかみさんというように太り、顔もがっしりして、どう見ても美人タイプではない。趣味は部屋を花で飾ることと編み物。一方娘のマリアは、ほっそりとして背の高い美人タイプ。自己主張が激しく周囲と衝突を繰り返し、酒もかなり飲む。今は妊娠中だが、相手の男に捨てられてやけになっている。中絶するのは簡単だけど、そうすれば自分はもう二度と子供を産めないかもしれない。できれば子供を産みたいが、ひとりで生むのは不安で仕方がない。独身女35歳での妊娠というのは、そんなことをいろいろ考えてしまう年齢なのです。

 誰にも干渉されずに、都会で自由な暮らしを満喫したいという気持ち。しかしそれは、ひとりで生きる孤独を甘受するということでもある。マリアは孤独と引き替えに自由を手に入れたものの、今はたったひとりで人生の岐路に立ち向かわなければならないという孤独感に押しつぶされそうになっている。階下の老人は自由と孤独にうまく折り合いを付けて暮らす人生の達人のようにも見えるが、マリアの母に親切にされると、ついその優しさに甘えたくなる。彼もやはり孤独なのです。

 孤独なのは都会暮らしをしている人たちだけではない。マリアの母も横暴な夫との暮らしに疲れ果て、誰にも心の内をうち明けられないのですから、精神的にはずいぶんと孤独なんだと思う。マリアの父も「女子供に甘い言葉をかけない男らしい自分」を守ることが習い性になってしまい、ついに自分の心の内を周囲に明かさなくなっている孤独な男なのかもしれない。普通の映画ならガンコな親父も老いや病気で人間がまるくなり、最後に人間らしい言葉のひとつもポロリと漏らすというのがパターンですが、この映画ではこのガンコ親父が最後まで憎まれ口を叩いているのがいい。現実はこんなものでしょう。

 クライマックスにあるマリアと老人の長い会話シーンは、映画というより舞台劇を観せられているような雰囲気。サンブラノ監督はもともと舞台劇の演出家出身だそうですから、その癖がこういうところで出るのかもしれない。映画のクライマックスとしては、ちょっと弱い。

(原題:SOLAS)

2001年3月公開予定 シネ・ラ・セット
配給:ザジ・フィルムズ


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