ボクと空と麦畑

2000/12/15 徳間ホール
グラスゴーの貧民街で暮らす少年のささやかな夢の結末。
出演者の表情はいいけど、暗いなぁ……。by K. Hattori


 邦題は明るく爽やかな印象があるけど、原題は『RATCATCHER(ネズミ駆除人)』という暗くてジメジメして不潔な印象のある言葉。オリジナルの邦題を付けることで映画の印象をずばりと言い当てるものもあるけれど、この映画の場合は原題の方が映画の雰囲気をよく表していると思う。舞台になっているのは1970年代のグラスゴー。市のゴミ収集業務がストライキで数週間に渡って中断され、道路や庭などに黒いゴミ袋がうずたかく積まれ、どんよりと曇った空の下で町全体が異臭を放っているというのが、この映画のバックグラウンドです。ゴミが片づけられないから、そこでは大量のネズミが繁殖する。しかもどのネズミも丸々と太っている。子供たちは棒きれ片手にゴミの山の中を走り回り、ネズミを見つけては叩き殺す。これが原題の由来でしょう。

 主人公は12歳のジェイムズという少年です。彼は近所のライアンという少年と水路で遊んでいて、誤ってライアンを溺れ死にさせてしまう。この導入部は最初にライアンの視点から物語をはじめるから、映画を観ている側はライアンがこの映画の主人公なのかと思っている。そこでいきなり、ジェイムズが水路にライアンを突き飛ばして殺してしまうんだからかなりのインパクトがある。この「少年殺し」がそれだけで単独のエピソードになり、その後の物語展開にあまり影響を与えないというのも、なんだか恐ろしい話。目撃者がいなかったことからライアンの死は事故扱いされ、ジェイムズもこの件については誰にも何も言わない。ひょっとしたらジェイムズの母は何かを感じているのかもしれないけれど、それについてはまったく無視してあえて触れないようにしている。

 ジェイムズの暮らしているのは、グラスゴーの低所得者たちが暮らす貧民街。住民たちはこの街に何の愛着も持っていない。いずれもっと環境のいい別の住まいに引っ越そうと、申請を出している人がほとんどなのだ。ペンキで壁を塗れば部屋が明るくなると言う父親に、母親が「どうせ引っ越すのに無駄よ」と言うシーンが象徴的。だがいつになったら引っ越せるのか? そんなあてなど、まったくないのだ。今ある状態に我慢できない。今ある状態は本来の暮らしじゃない。そう思う気持ちが、明日にでも新しい住まいに引っ越せるのではないかという幻想を生む。こういう幻想を持っている人は、部屋の窓のすぐ外にゴミの山があっても平気の平左。どうせここは仮の宿にすぎない。ゴミがあろうとなかろうと、自分たちにはまったく関係がないのだ。

 人間はゴミの中に住んでいる間だけ夢が見られる。環境が厳しければ厳しいほど、現実逃避としての夢は光り輝く。ジェイムズのささやかな夢は、ゴミの山とワンセットなのだ。住宅の外のゴミの山という不潔きわまりない風景が、本当の現実にさらされるのを防ぐシェルターになっている皮肉。街からゴミが一掃された途端、人々は目の前の厳しい現実と直接向き合わなければならなくなる。そこには夢の入り込む余地などないのだ。

(原題:RATCATCHER)

2001年陽春公開予定 シアター・イメージフォーラム
配給:オンリー・ハーツ、日本トラスティック


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