キング・イズ・アライヴ

2000/12/08 日本ヘラルド映画試写室
砂漠で遭難したバスの乗客たちが「リア王」を演じる。
デジタルビデオで撮影したドグマ作品。by K. Hattori


 東京国際映画祭で観たとき、不覚にも途中で寝てしまった映画。今回再見したのだが、前回寝たあたりで「確かこの辺でウトウトしはじめたよなぁ」と思っていたら、なんとまたしてもウトウトするという笑えない事態が生じてしまった。どちらも寝始めるのは、バスで砂漠の廃村に迷い込んだ乗客たちが、何をするでもなくただ救助を待つため酒に酔いしれるあたり。緊張感も途切れたこの無風状態が、どうやら僕に強烈な眠気を催させるらしい。単なる体調の問題も考えられるけれど、2回観て2回とも同じところで意識が遠のいたのは少し気になった。ただし今回は「リア王」の稽古に入る前に、何とか目を覚ますことに成功したけど……。

 砂漠で「リア王」の稽古をしている人たちが、周囲から隔絶された環境の中で人間関係を煮詰まらせ、シェイクスピアの描く古色蒼然たる人間悲劇の世界に引き込まれて行く物語だ。乗客たちのために記憶を頼りに「リア王」の台本を紙に書き写し、全体のまとめ役になる老俳優ヘンリーがリア王を演じ、同時にリア王の役回りにはまっていく。末娘コーデリア役のジーナはミスキャストのように思えたが、やがてコーデリアそのままの状況にすっぽりと収まった行動をとるようになる。中心になるのはヘンリーとジーナのふたり。特にジーナは重要だ。コーデリアが父王への美辞麗句を嫌ってトラブルを起こしたように、ジーナも自由奔放に振る舞って周囲と軋轢を起こす。しかし妙に大人ぶった周囲の人間の誰よりも、彼女の心の中には純粋さがあるのだ。だが彼女は周囲から誤解され、後ろ指をさされる。

 シェイクスピアの「リア王」から台詞を引用し、「リア王」を演じている人間たちが「リア王」に描かれた悲劇に飲み込まれてしまうという仕掛けの映画。しかし僕は「リア王」をよく知らないので、映画の作り手の意図をつかみかねてしまった。何しろ僕が知っている「リア王」は、黒澤明が翻案した『乱』ぐらいなのだ。『キング・イズ・アライブ』の中で演じられている「リア王」は、限られた人数で演じられるために原作よりかなり人物を削っているようだ。どの人物を生かして、その人物がどんな役回りで登場しているのかなどがわかると、この映画ももっとよく理解できたのかもしれない。台詞の断片的な引用も、それが原作戯曲のどんな場面で語られているものなのかがわかると、単なる意味不明の台詞ではなく、その引用に深みと広がりが感じられただろう。せめて子供の頃に、ラム姉弟の「シェークスピア物語」程度は読んでおけばよかったなぁ。

 ドグマ95に参加した作品で、全編デジタルビデオで撮影し、35ミリプリントに変換している。この程度の映画なら、わざわざジェニファー・ジェイスン・リーやロマーヌ・ボーランジェが出演する必要もないと思うんだけどね。ボーランジェ演じるカトリーヌが、ジェーイスン・リー演じるジーナに嫉妬することで、無意識のうちに次女リーガンの役を演じたということなのか……。

(原題:The King is Alive)

2001年2月上旬公開予定 シネマライズ
配給:アスミック・エース


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