はなればなれに

2000/11/28 徳間ホール
隠された大金を奪おうとした若者3人の運命。
1964年のゴダール作品。by K. Hattori


 1964年のゴダール作品。ドロレス・ヒッチェンズの「愚か者の黄金(FOOL'S GOLD)」という推理小説を原作に、ゴダール本人が脚色・監督。男女3人の青春ドラマになっている。モノクロ・スタンダード。上映時間1時間36分。話そのものはじつに陳腐で、いかにも三流探偵小説風。フランツとアルチュールは親友同士。彼らは英語教室で知り合ったオディールという女の子から、彼女の叔母の屋敷に莫大な金が隠してあるという話を聞く。どうやらオディールの叔母の愛人が、そこを脱税して貯めた金の隠し場所にしているらしいのだ。盗まれても訴え出ることのできない金。それが鍵もかかっていない部屋のタンスの中に、ギッシリと詰め込まれているという。こんな話を聞いて、食指を動かされないはずがない。映画は男女3人の現金強奪計画と、その思いもかけない結末。さらに、3人の間で発生する恋愛関係のもつれを描く。話としては、ただそれだけのものだ。

 この映画の面白さは、リアリズムと映画的虚構のせめぎ合いにある。街頭や路地や郊外や室内でロケ撮影された“映像”は、基本的にどれもリアリズム。目の前で行われている芝居をそのまま撮影しているのだから、ここに虚構が入り込む余地はあまりない。ところがそこで演じられている“芝居”は、かなり現実離れしていたりする。大仰でその場から浮き上がった台詞回し。明らかに場違いな芝居。あり得ざるシチュエーション。物語の筋と無関係に挿入される断片的なエピソード。これらが映画の流れをズタズタに断ち切り、陳腐な三流探偵小説の世界を解体して行く。編集段階で画像と音声をバラバラにしてしまい、結果として映画の虚構をあぶり出しにするようなところもある。

 例えば空き地をぐるぐる回る自動車に、男が飛び乗るシーン。ヒロインのオディールが屋敷から仲間たちのもとに合流する時、舟を使って小川を渡るシーンの奇妙さ。新聞記事を朗読する場面。カフェでナンパ男に悪態をつくオディール。突然挿入される『シェルブールの雨傘』のテーマ曲。同じ動作をいつまでも繰り返すダンスシーン。そして極めつけは、主人公たちの行動や心理をいちいち丁寧に説明する、ゴダール自身のナレーション。このナレーションは、しばしば嘘つきでもある。

 完璧に思えた犯罪計画、予定外の要素の発生、仲間割れ、悲劇的な結末など、筋立ては犯罪映画の定番。しかしこれはわかりやすいジャンル映画の意匠を借りているだけで、本当に描きたいことは脇にある無数のエピソードの側にあるのだろう。映画の中で一番魅力的なのは、カフェでのダンスシーン。それと同じぐらい面白いのは、ルーブル美術館での全力疾走。それに引き替え、現金強奪という本筋には、面白いところがまるでない。サスペンスもなければスリルもない。アルチュールの叔父が計画をかぎつけるくだりも、犯罪映画なら大波乱のクライマックスだが、この映画ではやけにアッサリとしか描かれない。意図的なバランスの悪さが、この映画の魅力だ。

(原題:BANDE A PART)

2001年1月下旬公開予定 銀座テアトルシネマ
配給:フランス映画社 宣伝協力:メイジャー


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