夢二

2000/11/17 イマジカ第1試写室
竹久夢二を主人公にした鈴木清順の大正三部作完結篇。
三部作の中では一番わかりやすい映画。by K. Hattori


 鈴木清順が平成3年に撮った作品。この後オムニバス映画『結婚』の中の1編を監督し、映画監督としての鈴木清順は沈黙している。本人曰く「今は俳優の鈴木清順です」とのこと。僕は今回の特集上映の試写で大正三部作と呼ばれる『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』を観たが、はじめの2本は昭和56年と57年に続けて撮られ、『夢二』はその10年後に撮られている。(この間に『カポネ大いに泣く』『ルパン三世/バビロンの黄金伝説』が撮られている。)1年と10年という間隔の差が、はじめの2本と『夢二』の間にかなり大きな違いを生みだしていると思う。

 『夢二』は言うまでもなく、明治末から大正にかけて活躍した人気画家で詩人の竹久夢二をモデルにした映画。竹久夢二を沢田研二が演じ、彼の周囲にいた彦乃やお葉といった実在の女たちや、同時代の天才画家・稲村御舟(速水御舟がモデルと思われる)が登場するものの、これは決して「竹久夢二の伝記映画」などではない。世界としては『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』の延長にある、現実と夢がひとつながりになったような世界。現実と思われる空間の中に異世界が混入し、現在と過去が混ざり合う。しかし夢うつつのカオスを登場人物たちがゆらゆらと漂うような前2作に比べると、『夢二』ははるかに現実的で物語の辻褄が合っている。

 前2作ではそれこそどこまでが現実で、どこからが夢なのかまったくわからず、観ているこちらは眩暈を感じてくらくらしたのだが、『夢二』はそれに反して「はい、ここから幻想シーンです」という境界線がはっきりわかるし、そこから現実に戻ってくる場面も明確だ。もちろん映画の中では現実といえども極度に抽象化され、会話もかみ合っているのか食い違っているのかわからない奇妙な間合いを持っているのだが、それが現実をゆがめてしまうほどではない。『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』にあった、主人公の足下が溶けていくような現実喪失感はこの映画から味わえない。前2作を観た後でこの映画を観ると、ちょっと物足りないかなとも思う。

 この映画は前2作を観て清順映画に何事かを期待している客に対し、それをはぐらかして喜んでいるようなところがあるのではなかろうか。舟が猛スピードで湖を横切ったり、模造品のカフェーが倒壊したりする様子は『陽炎座』の引用だろう。原田芳雄や大楠道代といった三部作に共通の俳優たちも、三部作を三部作たらしめる配役だと思う。面白かったのは夢二を演じた沢田研二の、まったく深刻ぶらないフワフワした存在感。玉三郎と原田芳雄という、まったく異質の俳優が同じ画面の中で芝居をしている奇妙さ。『夢二』はエピソードのつながりで違和感を出すのではなく、こうした俳優同士のつながりが持つ違和感で、映画そのものを大きくゆがませる。

 美術が素晴らしい。夢二のデッサンや最後のワジルシ。セットの豪華さ。宴会に登場する牛の頭。剥製のカラス。今どきのインディーズ映画では考えられない贅沢さだ。


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