Paradice

2000/11/16 KSS試写室
THE MODSの森山達也の脚本・監督作。
そもそも“Paradice”とは何でしょう。by K. Hattori


 ロックバンド“THE MODS”のリーダー森山達也の初監督作品。脚本も彼が書いている他、“THE MODS”として劇中の音楽を担当し、出演もしている。全編ビデオ撮りで、上映時間は43分。サントラ盤は既に発売されており、11月20日から始まるツアーではこの映画のダイジェスト版も上映されるという。

 何となく日常に馴染めずにいるふたりの若者が、金曜日の夜中に出発するという“Paradice”行きのバスに乗るという、ただそれだけの話。“Paradice”が具体的にどんなものなのかは、この映画の中ではまったく語られない。“Paradice”という言葉の響きだけが、若者たちの心をがっちりつかんでしまう。古着屋でバイトしていたミドリは店の金をちょろまかしていたことが店長にばれて首になり、知り合いのヤクザを頼ってドラッグディーラーに成り下がる。レコード屋でバイトしている俊は、仕事を黙々とこなす日々に退屈し始めている。ミドリも俊も、道ばたのポスターにある“Paradice”という文字に強く引き付けられてしまうのだ。

 “THE MODS”のファンが観れば面白いのかもしれないが、僕にはまったくピンと来なかった映画だ。主人公たちの行動は、結局ただの現実逃避ではないのか。しかも何の目的意識も問題意識もなく、ただふらりと現実を抜け出し“Paradice”に向かいたいという気持ち。そこに具体的に何があるのか、大金を払ってそこに行くことで、自分の何が変わるのかは知らない。彼らの“Paradice”行きは、ただ今いる場所から逃げ出したい、今ある自分の境遇から抜け出したいという、ただそれだけのための行為のように思える。何となくつまらなかったり、現実に適応できずぐずぐずの日々を送ったりしている主人公たちの姿にはリアリティがある。「あ〜あ、つまんないよぉ」という気持ちは十分に伝わってくる。しかしなぜそれが“Paradice”につながるのかがよくわからないのだ。“Paradice”って何なのさ。ライブハウスで“THE MODS”が歌ってくれれば、それが彼らの“Paradice”になるのか? どうも釈然としない話だ。

 全編ビデオ撮りで、コントラストのない平板な映像。ディテールも潰れて、お世辞にもきれいな絵とは言えない。「夢のないつまらない日常」をこの絵で通すのは構わないけど、せめて“Paradice”行きのバスが到着するところぐらいは、もう少しきれいな絵にならないのか。昔風のボンネットバスでファンタジー色を出すと同時に、ここだけフィルム撮りするなり、照明をばんばん照らしてそれまでの薄暗いタッチを改めるなり、少しの工夫で面白い効果を出すことはできたと思う。“Paradice”というポスターに主人公たちが惹かれるのは、それが日常から離れたファンタジーだかでしょう。ならばそれを強調するための演出があってもよかった。全体に低予算だというのはわかるけれど、低予算だからこそ、工夫すべきところはいろいろと工夫してほしいんです。予算も工夫もないのでは、面白い映画なんて撮れないと思うけど。


ホームページ
ホームページへ