僕たちのアナ・バナナ

2000/11/03 ル・シネマ2
(東京国際映画祭・コンペティション部門)
若きカトリック神父とユダヤ教のラビが同じ女性に恋をした。
エドワード・ノートンの監督・主演作。by K. Hattori


 多民族国家であるアメリカは、同時に多宗教国家でもある。最大勢力はキリスト教プロテスタント、信者数は多いがいまいち地味な地位にいるのがローマ・カトリック、都市部にはユダヤ系も多いし、新興勢力としてイスラム系や仏教系もある。この映画は大都市ニューヨークを舞台に、幼なじみ男女の三角関係と、それぞれが抱える宗教的なバックボーンや文化の差異を描いたコメディ映画。監督・主演は『ファイト・クラブ』『アメリカン・ヒストリーX』などに主演していたエドワード・ノートンで、これが彼の映画監督デビュー作だという。共演はベン・ステイラーとジェナ・エルフマン。

 舞台はニューヨーク。物語は主人公たちが少年だった頃にさかのぼる。ブライアンはカトリックの家庭に生まれ育つが、近所に住むユダヤ系のジェイクと知り合って親友になる。ふたりの共通のガールフレンドは、男勝りの腕白少女アナ。彼女は父親の仕事の都合で引っ越してしまうが、ブライアントジェイクの友情はますます深まっていく。やがて大人になったふたりは、それぞれが信仰の世界に進んでいく。ブライアンはカトリックの神父になり、ジェイクはユダヤ教のラビになった。型破りなふたりの説教は近所でも大評判。ふたりはカトリックとユダヤの交流を目的に、地域にコミュニティ・センターを作ることを計画する。その頃、バリバリの女エグゼクティブとしてビジネスの世界で頭角を現していたアナが、ブライアンとジェイクの前に再び姿を現す。

 ひとりの女性を巡る三角関係の物語で、男性ふたりが子供の頃からの親友同士というありきたりの人物配置。しかしその職業がカトリックの神父とユダヤ教のラビというところがユニークだ。外国映画ではしばしば登場人物たちの信仰の問題が取りざたされるし、宗教によって定められた戒律と個人の人生の葛藤というテーマもよく出てくる。この映画では劇中にカトリックとユダヤ教を登場させて、宗教そのものを相対化してしまうところが面白い。神父が女性に惚れるだけではつまらないし、ラビが異教徒と恋仲になるだけでもつまらない。それは単なる「聖」と「俗」の二元論になってしまう。この映画は宗教を「聖なるもの」としては描かない。宗教は文化や価値観の違いであり、どの宗教が正しのか、宗教上の戒律がはたして正しいものなのか、誰にもわからない。

 映画の中で面白かったのは、主人公たちのユニークな説教が評判になり、それまで閑古鳥が鳴いていた教会や会堂があっという間に信者たちで満員になる場面。これは逆に言うと、現代のアメリカでは宗教の求心力が失われていることを示している。カトリック信徒もユダヤ教徒も町にはあふれている。でも彼らは普段、教会や会堂に行かないのだ。彼らは宗教に魅力を感じていない。でも宗教に根を持つ「文化」の中に、彼らは暮らしている。

 芝居の部分はたっぷり楽しめるが、脚本の構成には少しギクシャクした部分もある。回想から現実に戻るシーンは、ちょっと観ていて恥ずかしかった。

(原題:Keeping the Faith)


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