ムロ・アミ

2000/10/30 渋谷エルミタージュ
フィリピンの海で働く子供たちと親方の物語。
エピソードのつながりが散漫。by K. Hattori


 漁船に乗り込む男たちの姿を描くフィリピン映画で、登場人物のほとんどは男性だが、監督はマリルー・ディアス=アバヤという女性。タイトルの『ムロ・アミ』というのは沖縄の追い込み網がフィリピンに移植されたものだそうで、水深十数メートルの海底に設置された網に、素潜りの漁師たちが石で海底を叩きながら魚を追い込んでいくという原始的な漁法だ。沖縄で現在行われているのは数人がチームになった小規模なものらしい。この漁法は非常に効率が悪い。つまり魚を採りつくしてしまうことのない、環境に優しい漁法なのだ。ところがフィリピンではこれが大型化して、一度にその海域の魚をすべて採りつくす収奪型の漁法へと進化した。巨大な網を水中で幾つもつないで巨大な囲いを作り、数十人の追い込み役が水面を叩き、重りを付けたロープを上下に揺すり、石で海底の珊瑚を砕きながら、網の中に魚を追い込んでいく。魚がいる限り、その海域には日に何度も網を入れる。追い込む過程で海底の珊瑚はボロボロになって、しばらくの間は魚が寄りつかなくなってしまう。原始的な追い込み網漁がここまで大型化できるのは、フィリピンの人件費が極端に安いからだ。しかも年端もゆかない子供たちを大勢使うから、人件費はさらに安くなる。

 高潮で妻と子供を失ったムロアミ漁の親方フレッドが、海に復讐するように意固地になって漁を続けるうち、さまざまなトラブルに出会って心の傷を癒されるという物語。水中撮影の面白さ、音楽の素晴らしさ、フレッドを演じた俳優の存在感、子供たちの健気さなど、見どころはいろいろあるのだが、上映時間1時間57分はちょっと長いと思う。細かいエピソードをうまく交通整理すれば、この映画はあと10分や20分は削れそうだ。フレッドの心がなぜかたくななのかという部分は中盤まで謎として残し、前半ではひたすら冷酷な親方として描いた方が、ムロアミ漁の過酷さや子供たちの大変さが浮かび上がってきたようにも思う。最初からフレッドの悲しみを観客が知っていると、彼に同情してしまって、やっていることの無茶苦茶さを許してしまう。

 船の上の人間関係が少しわかりにくいのは、脚本のせいなのか、それとも字幕のせいなのか。フレッドに「オヤジ」と呼ばれていた男が彼の実の父なのか、それとも年輩の漁師に親しみを込めて「オヤジ」と呼んでいるのかがわからない。漁の途中で命を落とす若者のエピソードが少ないため、彼を失ったことによる欠落感のようなものも希薄だ。死んだ青年を親方の暴走を諫めるブレーキ役にでもしておけば、彼が死んだ後でフレッドが暴走するという展開も生きてくる。最後にフレッドに反乱するボトンという青年のキャラクターや、フレッドと唯一親密な交流を持つことになる子供の話、日本に出稼ぎに行くことを夢見るフィリピーナなど、そこから物語を広げられそうな人物が大勢いるのに、あまり物語の中で生かされていないのは残念だ。海上や海中での撮影は大変だっただろうけれど、できがこれではなぁ……。

(原題:MURO-AMI)


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