キング・イズ・アライブ

2000/10/29 Bunkamuraオーチャードホール
砂漠のど真ん中で遭難したバス乗客たちが「リア王」を演じる。
ドグマ作品。途中でうっかり寝てしまった。by K. Hattori


 ラース・フォン・トリアーらが提唱する《ドグマ95》の第4弾作品。東京国際映画祭のコンペ部門に出品されている作品で、日本でも来年劇場公開される。監督はデンマークのクリスチャン・レヴリング。ジェニファー・ジェイソン・リーやロマーヌ・ボーランジェなど、名の知れた女優が出演している割には、ひどく地味な印象の映画。ドグマ作品に派手さを求めても無理なのかもしれないが、もはやドグマ作品には『セレブレーション』や『ミフネ』を最初に観たときのような驚きはない。今後も次々とドグマ作品が日本公開されるのだが、僕の関心は「誰が日本で最初にドグマに参加するか?」という点に移っていて、もはや「ドグマ作品だから」というだけでは何の期待もできなくなっている。

 砂漠のど真ん中でガス欠になったバスの乗員乗客が、救出を待つ間にシェイクスピアの「リア王」を演じるという、ただそれだけの話。徐々に乏しくなってくる食料。とげとげしくなる人間関係。その中で繰り広げられる劇のリハーサル。最初はなめらかな色調ではじまった映画は、人間関係がギスギスしたものになるにつれて、コントラストが高まり、粒子が荒れ、カットのつなぎも短く乱暴なものになってくる。最初は救助を待つ間の暇つぶしとして始められたはずの芝居は、やがて遭難者全体を支配して、映画の最後には日常の会話が消えてシェイクスピアの台詞だけが残る。

 この映画の直前に『ガールファイト』で立ちん坊をして疲れていたせいか、映画の途中からウトウトしてしまった。そんなわけで映画中盤のつながりがイマイチ不鮮明。いっそのこと途中で退席しようかとも思ったのだが、映画祭という雰囲気でそれもままならず、後半はしっかり観ることになった。(マスコミ試写が始まったら、後日改めて観直すことにしようと思っているけど……。)周囲から孤立した環境の中で、小さな集団が心理的に追い詰められていくという話は今までに何度も映画になっている。本来なら数時間の間、同じバスに揺られていればいいだけだったはずの人間関係が、水も食料も乏しい状況の中で否応なしに急接近し、あっという間に煮詰まって行く。この映画のユニークなところは、そこにまったく異質のシェイクスピア劇を結びつけたところだろう。演じられるのは「リア王」。バスの遭難とはまったく関係のない演目だ。乗客の中にいた役者が記憶を頼りに台本を書き、役を割り振って稽古が始まる。

 普通ならここで、バスの遭難と人間関係の軋轢から生まれる悲劇と、劇中劇で演じられる悲劇をパラレルに進行させて、最後にふたつの悲劇を合流させるだろう。しかしこの『キング・イズ・アライブ』では、最後に劇中劇が現実の悲劇を覆い隠し、乗っ取ってしまう。生身の人間や現実の人生は消え去り、400年前に書かれた「リア王」だけが生き延びる。話の狙いはわかるが、それなら現実をもっと芝居仕立てにするとか、もう少し別の演出があってもいいと思う。あと一工夫ほしかった。

(原題:The King is alive)


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