ガールファイト

2000/10/29 渋谷エルミタージュ
17歳の少女が男ばかりのボクシング界になぐり込み。
話は面白いけど演出が弱い。by K. Hattori


 ブルックリンの高校に通うダイアナは、毎日をイライラしながら過ごしている。具体的に何がイヤというわけでもないのだが、ことあるごとに周囲と衝突し、時には他の生徒と取っ組み合いのケンカをすることもある。自分の中でフツフツと煮えたぎる気持ちを、どこにぶつけていいのかわからない苛立ち。そんな彼女の人生は、ボクシングと出会ったことで一変する。

 新人カリン・クサマ監督(父親が日本人だという)の長編映画デビュー作で、東京国際映画祭の協賛企画であるカネボウ国際女性映画週間のオープニング作品。今年のサンダンス映画祭でグランプリを受賞した作品という前評判の高さもあってか、上映会場は超満員で僕は立ち見することになった。来年の春には全国松竹系での全国公開も決まっているらしいので、焦って観る必要もなかったと、その時になって少し後悔した。

 17歳の少女がボクシングジムという男社会に単身乗り込み、自らの実力で勝ち上がって行くという物語。面白そうな素材で、もっと痛快な娯楽作に仕上げることもできると思うのだが、残念ながらあと一押しが足りないという印象。学校での立場、家庭内での軋轢、師弟関係、恋愛関係など、いろいろな内容が盛り込まれていて、脚本段階ではあちこちに目配りした痕跡が見える。しかしそれがうまくかみ合っていないのか、はたまた演出に力がないのか、それらの小さなエピソード群が物語の中で生きてこないのだ。これらのエピソードがクライマックスに向けて集約して行けば、もっとずっと盛り上がる展開になると思うんだけど。

 例えば学校でのどん臭い親友との関係が、一度壊れかけてから修復するくだり。父親に目をかけられている弟への羨望が、思いがけない弟の協力で氷解する様子。母を失った心の痛みを父にぶつけるヒロインが、威圧的な父親を腕力で屈服させるが、それでも少しも心の痛みが癒えないという悲しみ。好きな男とのスパーリングで、相手がまったく自分を打ってこないことに対する苛立ちや屈辱。本来ならクライマックスへの布石として機能すべき、これらの小さなエピソードに力がないのは致命的。同じジムのボクサーが言う「愛に生きればリングでは死ぬ」という台詞や、スパーリングで彼女と打ち合うことを拒む男の話が、どういうわけか最後の試合場面の心理的な葛藤と絡み合って来ない。

 主演のミシェル・ロドリゲスの、まったくかわいげのない凶暴な目つきが素晴らしい。きちんとトレーニングをして、男性ボクサーと打ち合っても見劣りしない身体を作っているのもさすが。試合が予選から決勝へと進むに連れて、少しずつ会場が立派になったりショーアップされたりするのも面白かった。(最後の試合シーンで、音声が途切れるハプニング発生。ちょっと残念。)エピローグにあたる部分で、ロッカールームの窓から光を入れるだけで、彼女の成長ぶりを象徴的に示す演出もなかなかうまい。でもやっぱり、あともう一歩かなぁ……。

(原題:GIRLFIGHT)
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