太陽の法
エル・カンターレへの道

2000/10/06 東映第1試写室
幸福の科学製作の映画3作目にようやく登場した布教映画。
過去2作に比べても一番つまらないのは皮肉。by K. Hattori


 『ノストラダムス戦慄の啓示』『ヘルメス/愛は風の如く』に続く、幸福の科学出版製作の新興宗教映画第3弾。今までは有名予言者の名を借りたり、ギリシャ神話の英雄伝を借りてきたりと、いささか回りくどく“幸福の科学”からのメッセージを伝えてきたが、今回はいよいよ本体、というより御本尊の登場。1千億年前から現在に至る人類の魂の遍歴を、至高の霊存在エル・カンターレの転生と共に描き出す魂の大河ドラマ。原作と製作総指揮は、“幸福の科学”の教祖さま大川隆法。

 この映画の公開と同じ時期には、アメリカのカルト宗教サイエントロジーの教祖が原作を書いた『バトルフィールド・アース』も公開されるはず。太平洋をはさんで生まれた東西の新興宗教が、日本の映画興行界を舞台に真っ向から対立するという、かなり世紀末な風景が見られると思う。このふたつの映画は、まったく関係ない場所で作られているが、共通点が3つほどある。第1は新興宗教の教祖が書いた原作を、それぞれの国の得意分野とする手法で映画化していること。つまり日本側はアニメーション映画を作り、アメリカ側はSFX映画にしている。第2はどちらの映画も全国公開されるのに、内容がひどくつまらないこと。たぶんどちらも興行的には惨敗だと思う。第3の共通点は、原作者の名前がどちらも“エル”で始まること。『バトルフィールド・アース』の原作者はL・ロン・ハバード。『太陽の法』の原作者は大川隆法だが、本人は自分をエル・カンターレと称している。名前が“エル”で始まると、なんだか神秘的でありがたい雰囲気が出るんだろうか……。

 映画そのものは前記したとおりひどくつまらない。つまらない理由は2つある。ひとつは扱っている時間と空間のスケールが大きすぎて、物語の中に入り込めないこと。第2は物語が絶対者であるエル・カンターレの視点と、それを崇拝する人類の視点に二極分化してしまい、観客が感情移入するポイントが存在しないことだ。第1の点は、輪廻転生して行く人間や神(エル・カンターレ)のどこかにポイントを絞れば解消するだろう。また第2の点を解消するには、海外で何度も作られているイエス・キリストの伝記映画が参考になったと思う。そこでは後に神とされるイエスを悩める人間として描くか、もしくは悩める弱い人間が神であるイエスに出会って強く変貌して行く物語になるか、どちらかの方法が採られているはずだ。『太陽の法』はその点がどうにも曖昧だ。

 エル・カンターレを絶対者として描くなら、物語の視点はか弱き人間たちの側になければならない。しかしこの映画の中ではゴータマ・ブッダが悩める青年として描かれており、この点でエル・カンターレというキャラクター(信者にとっては神様)の性格が弱くなってしまっているようにも思う。ブッダが悩んだ末に悟りを開く話は有名だから映画にも取り入れたのだろうが、このくだりは余計だと思う。あとどうせここまでやるのなら、最後は大川隆法本人に登場してほしかった。


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