素晴しき放浪者

2000/10/04 映画美学校試写室
ジャン・ルノワール監督が1932年に作った風刺喜劇。
主人公ブーデュは逆チャップリンだ。by K. Hattori


 フランス映画の巨匠ジャン・ルノワールが1932年に撮ったコメディ映画。本屋の主人がたまたま目の前の川に飛び込んだ浮浪者を助け上げ、善行ついでにそのまま家に寄宿させることになる。ブーデュというその浮浪者は助けられたことを感謝するどころか家のものに悪態をつきまくり、気ままな屋外生活者の流儀を家の中に持ち込んで大混乱に陥れる。ルネ・フォショワの「水から救われたブーデュ」という戯曲を、ジャン・ルノワールが監督・脚本・脚色・台詞を担当して映画化したものだ。同じ原作は'85年にポール・マザースキーが『ビバリーヒルズ・バム』として再映画化している。

 浮浪者が大活躍して観客の拍手喝采を浴びる映画といえば、チャールズ・チャップリン自作自演による一連の放浪紳士ものがある。この『素晴しき放浪者』は、いわば「アンチ・チャップリン映画」になっている点がユニークだと思う。チャップリンの映画にあるものは、主人公チャーリーに代表される貧しい者たちへの共感と擁護、権力者や資本家たちへの反発と攻撃だ。この立場を徹底させていたため、チャップリンはいつまでも人気があったのだし、同時に政府当局からにらまれてアメリカを追放されるような目にも遭う。チャップリン映画の主人公は、ボロは着てても心は錦、強きをくじき弱気を助けるヒーロー、礼儀正しく女性に優しいジェントルマンである。しかし『素晴しき放浪者』の主人公ブーデュは、そうしたエレガンスや美意識とはまったく無縁。彼は命を助けられても礼さえ言わず、出された食事に文句を言いながら手づかみで食べ、女を口説き、大金を手に入れれば大喜びする。普通の人間なら自分の欲望や欲情を隠したり取り繕ったりするものだし、そうした感情を隠すところに人間の文化的な生活というものは成り立っている。でもブーデュは自分の欲望や感情を隠さない。まったくの天衣無縫な野生児なのだ。しかも好色で強欲。

 チャップリンの映画なら資本家が徹底してからかわれるところだろうが、この映画に登場する“ブルジョア”の本屋一家は、かえって観客の同情を引くのではなかろうか。特に初老の主人には大いに同情してしまう。若いメイドとの逢瀬で大いに気分も若返り、恋に浮かれて他人に善行を施したくなった彼は、店にいた学生に高価な本を押しつけたりする。その延長でわざわざ川に飛び込んでブーデュを助けるのだが、そのあげくにこの仕打ちはなかろう。でも彼はどうしてもブーデュが憎めない。ブーデュの乱暴な行動には、本人はまったく意識していないのだろうが、どこか茶目っ気がある。だからこそ彼は、邪魔者扱いされてもみんなから愛されている。

 本屋の主人は狭い家の中で妻と同居しながら、住み込みのメイドと浮気している。これはかなりスリル満点。こんな関係が早晩破綻することは目に見えているのだから、かえってブーデュの登場は彼にとっていいことだったのかもしれない。それに結局最後は、彼が両手に妻とメイドの両人を抱えてニッコリ笑ってる。うらやましい。

(原題:Boudu sauve des eaux)


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