郡上一揆

2000/09/21 オリベホール
江戸時代中期に起きた郡上藩の農民一揆を映画化。
迫力ある政治ドラマだが現代との接点は? by K. Hattori


 江戸時代中期の1754年。藩主が強行しようとした検見取(けみどり)に抵抗して、郡上藩(現在の岐阜県郡上郡あたり)の農民たちが大規模な一揆を起こした。検見取というのは年貢米をその年の取れ高に応じて徴収する一種の累進課税。それまで郡上藩では、過去の実績を平均して一定の税を納める定額方式だったのだ。検見取は合理的なようだが、じつはそうではない。田の稲はどの田でも平均して実るわけではなく、必ず出来不出来のばらつきがある。検見取はその中でももっとも出来のいい田を選んで全農地の収穫量を割り出すため、大増税になるのは目に見えている。もとよりこの検見取は、財政に窮した藩が考えついた増税策だったのだ。農民たちは強訴(団体交渉)で家老から検見取中止のお墨付きを引き出すが、藩は翌年郡代に手を回して検見取を強行しようとする。家老相手ではラチがあかないと判断した農民たちは、藩主に直々窮状を訴えるため江戸屋敷へ訴状を届ける。だがそれも握りつぶされると、今度は幕府老中への駕籠訴(途上途中の幕府要人の駕籠を止め訴状を差し出す)へと運動はエスカレート。こうした農民たちの動きを弾圧しようとする藩主たちに抗議するため、ついに農民たちは目安箱への箱訴を実行する。幕府の裁定が出たのは1758年。一揆の中心人物たち十数名が死罪になったが、藩主は領地を没収され、郡代や幕府要人の多くが処分された。農民側の言い分が通ったのだ。

 岐阜県出身の神山征二郎監督が、郷土の歴史を描いた力作。農民一揆というと、藩主の圧政や暴政に堪え忍んだ農民たちの怒りが爆発し、自然発生的に生まれた武装闘争というイメージがあったのだが、これはどうやら間違いらしい。むしろ旗や竹槍の集団が一揆の中心であるのは確かだが、これは一種のデモンストレーション。組合の団交における、赤旗や横断幕、はちまきと同じような意味らしい。一揆の本質は強訴(ごうそ)である。各村や集落から規定の人数を出して集団を組織し、役人たちに集団交渉をするわけだ。農民たちは村落ごとに独立した小集団を形成しているが、一揆の時は高度に組織化された集団となる。人員・物資・金銭の調達などを、あっという間に成し遂げてしまう様子は見事だ。

 神山監督はこの映画の中で、江戸時代の身分制度に対する我々の思い込みをひっくり返す。農民たちは武士階級に搾取される奴隷ではない。身分は違えども、武士たちと互角に交渉する教養と政治的力量を持った集団なのだ。『しぼり取られ、地を這い、足で踏みつけられるだけという百姓像は間違いで、文にも武にも長け法律をよくし、納税者の誇りを保つ毅然たる者たち、それが我らの祖であった』と監督は言っている。新しい「農民史観」とでもいうものを打ち立てた点で、この映画はまことにユニークなものだと思う。

 ただしこの映画には、現代との接点があまりない。江戸時代の農民たちの怒りは理解できるが、それに共鳴はできないのだ。これじゃただの昔話だよ。


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