9-NINE
(ナイン)

2000/09/12 東映第2試写室
渋谷の若者たちを主人公にした青春ドラマだが……。
きわめて不愉快な映画。虫ずが走る。by K. Hattori


 久しぶりに本格的にダメな映画を観た。日本映画の場合、ダメな映画はいくらでもあるから「ダメだった」という理由だけで作品をけなしてもしょうがない。むしろ作品の中から多少はよかったところを探し出して、作り手側の意欲や感覚の新しさを評価してあげるのが筋だと思っている。しょせんハリウッド映画に比べて、ゴミみたいな予算で撮っている映画です。日本映画がハリウッド映画に負けない部分を持っているとすれば、それはハリウッドの映画人が描けない「日本の今」をどれだけ映画の中に持ち込めるかにかかっている。日本の観客が映画を観て「これこそ俺たちの映画だ!」「この気持ちは俺たちにしかわかるまい」と思える映画をどれだけ作れるかだと思う。映画製作者たちもバカじゃないから、そうした映画作りを目指している。そしてそのための方法として、現代の若者風俗やファッションを大幅に取り入れた映画を作ろうとする場合がある。この映画『9-NINE』も、そんな現代の若者風俗を描いた映画だろう。

 しかしこの映画の、なんたる古くささ、アナクロニズム、紋切り型の表現の洪水。これは渋谷の町をたむろする若者たちを描いた映画だ。渋谷で素人ハスラーとしてならした主人公トオルは、その腕を買われてパトロンが付き、渋谷の街を出ていった。だがたとえ金を手に入れても、大人の世界は窮屈でつまらない。トオルは渋谷の街に舞い戻ってくる。同じ頃、政治家の娘として型にはまった生活を強いられていたリカも、家出をして渋谷の街にやってくる。そしてふたりは恋に落ちるのだ……。この映画では「大人の世界の味気なさ」を表現するために、大人の世界をモノクロで、渋谷の若者たちの世界をカラーで描いている。「若者=自由で正直」「大人=不自由と欺瞞」という二元論。しかしこんな分け方はそもそも単純すぎる。主人公たちは小学生や中学生じゃない。学校からも家からも離れ、大人になりかけている年頃なのだ。彼らがいつまでも「大人の世界」を拒否して生き続けられるわけではなかろう。ここには欺瞞がある。

 この映画は東京の渋谷単館で公開される。渋谷にたむろする若者たちに向けて、「これがあなたたちの映画です」と言いたいのだろうか。であれば、この映画の渋谷の描写のずさんさやいい加減さをどう言い訳するのか。この映画に描かれる渋谷の地理は無茶苦茶です。主人公たちがどこをどう歩き、どう走れば、この映画のような状態が出現するのか。渋谷でも人通りが少なく撮影しやすそうなところだけを探してロケし、それを適当につなぎ合わせただけだからこんな映画になる。確かにどれも渋谷の風景に違いない。でもここには、センター街も公園通りも道玄坂も出てこない。渋谷駅南口から井の頭線渋谷駅横を抜けると、そこはもうNHKの放送センター前の公園になっているのだ。まったくアホらしい。

 若者に迎合し、若者に媚びるばかりの映画です。話は非常に古くさい。最後の方になると、僕は早く終わってくれないかと時計ばかり気にしていました。


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