タイタス

2000/08/25 GAGA試写室
シェイクスピアの戯曲「タイタス・アンドロニカス」の映画化。
タイタスが立派に見えすぎるのが欠点。by K. Hattori


 シェイクスピアが古代ローマを舞台に描いた歴史劇「タイタス・アンドロニカス」を、舞台演出家のジュリー・テイモアが映画化。テイモア監督はディズニーアニメ『ライオン・キング』の舞台版(劇団四季も翻訳上演している)を演出し、トニー賞を受賞した才能の持ち主。2時間42分の大作となったこの映画『タイタス』も、特異な意匠をこらした異色の歴史劇となっている。舞台は古代ローマなのに、登場するのは現代のローマ。そこで時にはモダンにデザインされた古代風の衣装を、時には未来的ですらある現代の衣装を身につけた登場人物たちが、シェイクスピアの大げさな台詞廻しで悲劇を演じるという趣向だ。シェイクスピアの歴史劇を現代の衣装で演じることで、古典の中にある現代性を浮き彫りにしようということだろう。こうした演出は舞台劇の世界ではポピュラーなものだが、映画では珍しい。

 古代ローマの将軍タイタス・アンドロニカスはゴート族との戦いに勝利し、ゴート族の女王タモラと3人の息子たちを手みやげにローマに凱旋する。タイタスは子供たちを失った恨みを晴らすため、タモラの長男を斬殺。これが血で血を洗う復讐劇の発端となる。皇帝が亡くなると暗愚で冷酷な新皇帝サターナイナスは、捕虜となっているタモラを自分の妻に迎え、英雄タイタスを冷遇するようになる。絶大な権力と自由を手に入れたタモラは新皇帝の弟を殺し、彼の婚約者だったタイタスの娘を陵辱して両手首と舌を切断する。さらには殺人事件の罪をタイタスの息子たちになすりつけ、息子の命乞いをする老将軍本人には片腕を切断させる。

 タイタスを演じているのはアンソニー・ホプキンス。タモラを演じているのはジェシカ・ラング。オスカー俳優とオスカー女優が四つに組んで、互いに相手を憎しみ恨み殺そうとする姿は壮絶。入り組んだ陰謀が生み出す波瀾万丈の物語は、観る者の目をスクリーンに釘付けにする。確かに物語は面白い。さすがシェイクスピア。衣装や美術もユニーク。さすがブロードウェイで旋風を巻き起こした舞台演出家。でも僕はそれ以上のものは感じない。退屈はしない。むしろ非常に面白い映画だと思う。でもその中に「普遍的な悲劇」に対する共感はない。

 タイタスの悲劇は、いったい何が原因で起きたのか。タモラの息子を殺したことか、サターナイナスを新皇帝にしたことか、一人娘のラヴィニアとバシアナスの仲を認められなかったことか、皇帝の家臣としてのプライドから我が子を手に掛けて殺したことか。おそらくタイタスという将軍は軍人としては優れていても、人間としては小人物だったのだろう。彼は重責を担うことを避け、安寧秩序の中に身を置こうとするあまり、自分自身の置かれている状況を見失う。それは彼の弱さだが、それは人間として誰もが持つ愚かさでもある。だがアンソニー・ホプキンスはどうにも立派すぎて、彼が演じるタイタスの中には弱さや愚かしさが見えなくなってしまった。彼の行動がチグハグに見えるのはそのせいだろう。

(原題:TITUS)


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