盲獣

2000/08/25 シネカノン試写室
江戸川乱歩の小説を増村保造が映画化した心理劇。
盲目の男にとらえられた美人モデルの運命。by K. Hattori


 江戸川乱歩の原作を増村保造監督が映画化した、昭和44年(1969年)の大映作品。モデルをしていたアキは、画廊で自分をモデルにした彫像をなで回している不気味な男を見かけて薄気味悪く感じる。だがその数日後、彼女はその男に睡眠薬を嗅がされて、気づいたときには巨大な倉庫のようなアトリエに連れ込まれていた。男は盲目で、そのアトリエで母親とふたりきりの生活をしている。彼がアキをモデルにして「盲人のための触覚による芸術」を作りたいと申し出た時、一度はそれを拒絶した彼女だったが、アトリエから脱出するために彼を懐柔する方が得策だと考え、モデルを引き受けることにする。アキの優しい態度に息子が浮かれている様子を見て危険を感じた彼の母は、息子に知られないように彼女をアトリエから脱出させようとするのだが……。

 登場人物は3人。映画のオープニングタイトルには通行人などのエキストラは名前が載らないのだが、この映画の登場人物は掛け値なしに、タイトルに載っている3人きりなのだ。登場する場所もきわめて限定されている。オープニングの個展会場、アキの部屋、そして男のアトリエ兼住居だ。アトリエの外観も映画に登場するが、周囲にどんな風景が広がっているのかはまったくわからない。限定された登場人物。限定された空間。さらに男は盲目なので感覚も限定され、最後は暗闇の中でアキも視覚を失って小さな小さな「触覚」の世界に耽溺して行く。あらゆる事件が、あらゆる感情が、すべて小さく凝縮されて行く息苦しさ。小さな場所で煮詰まっていく感覚は、常人には考えられないほど深く深く沈降する。

 肉体的な欠陥が逆に別の感覚を刺激して、常人の理解できない異様な世界を作り上げていくという発想は、いかにも江戸川乱歩ならではの倒錯感覚。美醜正邪が逆転した世界の中では、健康的な肉体美を誇っていた美人モデルのアキが、盲目の男の前にひざまずくことになる。物語のクライマックスは、アキ自身が暗闇の中で視力を失い、盲目の世界の中で禁断の「感覚世界の法則」に身を任せて行くくだりだろう。より大きな刺激を求めて、主人公たちの行為は際限のないエスカレートを続ける。

 このくだりの描写は確かに迫力がある。しかし僕はそこに、主人公たちの感情のぶつかり合いや、刺激に対する生理的な飢餓感といった、せっぱ詰まったものを感じることができなかった。このクライマックスは作り手が頭の中で考えた、主人公たちの行為の論理的な帰結ではないだろうか。彼らの最終的な行動は、どうにも理屈っぽすぎる。当然あってしかるべき情動と行為の密接な結びつきが、ここにはまったく感じられない。たぶん監督も出演者も、この登場人物たちの行動を理論的に説明することに熱中してしまい、彼らの気持ちや感情に対する共感は少しも持っていなかったのだろう。

 目・鼻・口・耳など、巨大な体のパーツが壁一面に埋め尽くされ、中央に巨大な女体がそそりたつアトリエの様子には迫力がある。これの美術が一番の見どころ。


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