シベリアの理髪師

2000/08/17 日本ヘラルド映画試写室
ニキータ・ミハルコフ監督が帝政ロシア末期の士官学校を描く。
監督本人がロシア皇帝役で登場する。by K. Hattori


 『黒い瞳』『太陽に灼かれて』のニキータ・ミハルコフ監督最新作は、帝政末期のロシアを舞台にした2時間42分のメロドラマ。アメリカから来た美しい女性ジェーンと、ロシアの若い士官候補生トルストイの恋のすれ違いを描いている。物語はジェーンとトルストイが互いに相手に好意を持ちながらもそれを告白することなく胸に秘めている前半と、トルストイが意を決して自分の気持ちをジェーンに打ち明けて以降の後半に分けられる。後半は互いに愛し合うふたりが引き裂かれていくドラマチックな悲恋物語で、映画全体のクライマックスは当然この部分にある。だが映画としての面白さは、むしろ映画の前半、士官学校でのいろいろなエピソードがぎっしり詰まった前半にあるのだ。たぶん監督が描きたかったのも、この前半だったに違いない。それを象徴するように、前半のクライマックスとも言える士官学校の卒業式シーンには、ミハルコフ監督自身がロシア皇帝アレクサンドル3世役で白馬に乗って登場する。この閲兵シーンは、映画の中でも最も興奮する場面だ。

 この映画に登場する士官学校は、軍事知識や戦闘能力、指導力に秀でた一流軍人の養成機関というより、むしろ「一流の紳士」を育成する機関であるかのように描かれている。軍事教練の場面はほとんど登場せず、出てくるのは舞踏会や昼食会や生徒同士の決闘や教師に対するイタズラなどだ。生徒同士の結束力の強さ。生徒と教師の信頼関係。小さな失敗や若さゆえの過ちを大目に見ようとする寛容さ。その中で揺るぐことなく醸成される、皇帝に対する忠誠心。軍人としての誇り。舞踏会の準備のために床をスケートリンクさながらに磨き上げ、その上を勝手を知った若い士官候補生たちが悠々と歩き回って婦人たちをエスコートする場面の面白さと格好良さ。事情を察した校長が、若い生徒たちに「自分もまぜてくれ」と頼む場面のおかしさ。この延長に、アレクサンドル3世の閲兵というクライマックスがあるのです。

 士官学校の校長であるラドロフ将軍が、この映画に登場するロシア人の気質を象徴しています。お人好しで寛容な面もあるけれど、一度これと決めるととことんやるタイプ。飲み始めたら止まらない。ウォッカをがぶ飲み。飲めば暴れる、乱れる、周りに迷惑をかける。でも本人はそれをてんで恥じていない。この将軍がお祭りで暴れだし、しっちゃかめっちゃかにすべてをぶち壊す場面の痛快さったらない。まるで歩くドタバタ喜劇製造器です。

 ジェーンを演じているのはジュリア・オーモンド。トルストイを演じているのはオレグ・メンシコフ。フランス、ロシア、イタリア、チェコ合作の英語劇。原題も英語で、これはボーマルシェの戯曲「セビリアの理髪師」(ロッシーニのオペラが有名)のもじり。ただし映画ではその続編をオペラにした、モーツァルトの「フィガロの結婚」がテーマ曲になっている。このあたりは、タイトルと映画の内容に不整合が生じている。1905年と1885年の対比も、あまり成功していないと思うけど。

(原題:The BARBER of SIBERIA)


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