ジュリアン

2000/08/09 メディアボックス試写室
『ガンモ』で僕に吐き気さえ起こさせたハーモニー・コリンの新作。
話は相変わらずだが、画像の効果は面白い。by K. Hattori


 ラリー・クラークの『KIDS』の脚本家であり、その後『ガンモ』で監督デビューしたハーモニー・コリンの新作。コリン監督は1974年生まれ。まだ26歳。それでこんな映画ばかり撮ってていいのかなぁ……と心配になるぐらい、相変わらず病んだ映画を撮ってます。観ていて愉快になる映画ではないし、最後にカタルシスがあるわけじゃないし、解決や救済も用意されていないし、ハッピーエンドなんてあり得ない。後味は悪すぎる。でもそうした不快感は前作『ガンモ』ほどじゃない。『ガンモ』はアメリカで中流未満の生活をしている人間たちの薄汚い日常を、細部のディテールにこだわった超細密描写で描き出した作品だった。今回の映画も基本的には同じですが、『KIDS』や『ガンモ』に比べるとストーリーラインがしっかりした普通の映画になっています。前2作は子供たちの細かなエピソードを羅列した作品でしたが、今回の映画はタイトルにもなっているジュリアンという青年と、その家族を描いたホームドラマになっている。ただしそこには「ほのぼの」した雰囲気など微塵もありません。相当殺伐とした映画です。

 この映画の特徴は、撮影のほとんどをデジタルビデオで行い、それを16ミリ(あるいは8ミリ)にテレシネし、さらに35ミリへとブローアップすることで、全体のざらついた画調を作っていること。全体にかなりボンヤリした絵になっていますが、画像が細かい光の粒子で構成されているような独特のタッチは、スーラの点描技法絵画のようなある種の美しさがある。この技法は観客にカメラの存在を常に意識させ、描かれている対象と客席との間に一定の距離感を生じさせる。これによって、観客が物語の世界にドップリとのめり込んでいくことが防がれる。手持ちカメラと同録によるドキュメンタリー風の撮影技法を用いながらも、ギラギラとしたリアリティをあまり感じさせないのです。そこでどんなに陰惨な話が展開しても、観客は常にそれが「映画」という演出されたお芝居であることに逃げられる。

 この監督の映画は、観客が登場人物に共感したり同情したりすることを拒んでいる。それは『KIDS』『ガンモ』も同じだった。「この現実を観ろ!」と生々しいエピソードを観客の鼻先に突きつけ、それに観客が顔をしかめるのを観察しながらニヤニヤしているようなところがある。今回の映画でもそれは同じ。映画を観る観客の中に、主人公ジュリアンに感情移入する人がいるとは思えない。普通の映画作家なら観客の共感や感情移入を求めてリアルな人物を造形するのでしょうが、この映画はまずリアルな人物像を作ることが最優先で、それに観客が共感したり感情移入することはまったくと言っていいほど求めていない。変わった監督です。

 ラース・フォン・トリアーの提唱する「ドグマ95」の作品として製作された映画です。「ドグマ95」は映画製作の現場に大きな制約を課すものですが、その範囲内でもこんな映画が作れるという事実に驚きます。

(原題:Julien Donkey-boy)


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