五条霊戦記
GOJOE

2000/07/27 東宝第1試写室
牛若丸と弁慶が出会った五条橋での決闘の真実とは?
義経と弁慶の伝説を大胆に解釈。by K. Hattori


 平安時代末期、侍から千本の太刀を奪う誓いを立てた武蔵坊弁慶は、宿願達成まであと1本と迫ったとき、京都五条橋の上でひとりの少年に出会う。小柄で女のように柔和な顔つきのその少年は、見れば立派な太刀をその腰に帯びている。しめたと思った弁慶だが、相手は橋の上をひらりひらりと舞うように大男の弁慶を翻弄し、ついには彼を降参させてしまう。この少年こそ、幼い頃より鞍馬寺に預けられていた源義朝の遺児・牛若丸である。牛若丸は鞍馬山の天狗を相手に剣術の稽古に励み、幼くして兵法の極意を身につけたという。力自慢の弁慶は平家打倒の志を持つ牛若丸に心酔し、この日より彼の忠実な家来となる。童謡にも歌われた弁慶と牛若丸の物語だ。

 この伝説をまったく新しく脚色したのが、石井聰亙監督の『五条霊戦記/GOJOE』である。牛若丸と弁慶の物語はほとんどが伝説であり、その真相は謎に包まれている。それだけに、物語として脚色する余地が大いにある。この映画は牛若丸と弁慶の伝説に取材しながら、ふたりを従来から知られている主従関係ではなく、生死を賭けた戦いを繰り返す宿敵同士として描いているところが非常にユニークだ。物語は「牛若丸と弁慶の五条橋での決闘」を軸に、無数にある伝説の中から自由にエピソードを抜き出して新しいドラマに肉付けしている。義経の幼名が牛若丸ではなく遮那王(しゃなおう)になっているが、これは鞍馬寺時代に付けられていた名前。刀を千本集めるのも弁慶ではなく遮那王になっているが、これは「武蔵坊弁慶絵巻」にある義経の千人斬りから取材したエピソードで、この映画の思いつきではない。弁慶が刀鍛冶と強く結びつけられているのも、古来からの伝説に由来したものだ。この映画のリアルな迫力は、数百年に渡って日本人の中で練り上げられてきた牛若丸と弁慶の物語が、現代の技術とイマジネーションで仕立て直されたもの。この映画の中には、日本人が数百年間かけて作りだしてきた英雄豪傑譚のすべてが詰まっている。

 この映画の遮那王は、平家の武士を殺すため、夜な夜な京の町を駆け抜ける「鬼」として描かれている。その出入り口になっているのが、町のはずれにある五条橋というわけだ。かつては乱暴狼藉の限りをつくし、やはり人々から「鬼」と呼ばれていた武蔵坊弁慶は、夢枕に立った不動明王から鬼退治を命じられて京に上る。五条橋に鬼が出るとの噂を聞きつけ、橋のそばで夜が更けるのを待ちかまえる弁慶。こうして五条橋の上で、2匹の鬼が激突する。遮那王を演じているのは浅野忠信。弁慶を演じているのは隆大介。ふたりの対決は壮絶の一語に尽きる。その戦いは、どちらかが絶命するまで終わらない。

 遮那王を悲劇のヒーローではない悪党として描き、弁慶と共に京を徘徊する2匹の鬼として描くアイデアは秀逸。しかし往年のスマートな時代劇に比べると、この映画は少々荒々しすぎる面もある。乱闘シーンも薄暗い上に展開が早すぎてわけがわからない。余計なエピソードも多い。もう少し整理すれば1時間50分になるだろう。


ホームページ
ホームページへ