クレイドル・ウィル・ロック

2000/07/10 メディアボックス試写室
1937年にオーソン・ウェルズが演出したミュージカルの舞台裏。
ティム・ロビンス監督は欲張りすぎて焦点ぼけ。by K. Hattori


 タイトルになっている「クレイドル・ウィル・ロック(揺りかごは揺れる)」というのは、1937年にオーソン・ウェルズが演出したミュージカル劇。'29年以来の大不況は演劇界にも及び、演劇の都ニューヨークの俳優や劇場スタッフたちもその日の食事に事欠くありさまだった。それを救うために政府が旗揚げしたのが、失業した演劇人に職を与えるため、政府の資金で演劇の制作や公演をしようというフェデラル・シアター・プロジェクト。「クレイドル・ウィル・ロック」はその一演目として上演されるはずだったが、初日の前日に政府によって劇場が封鎖され、出演者とスタッフは急遽劇場を引っ越して上演を行ったという。ウェルズはこの時22歳。ウェルズはこの後「マーキュリー劇場」という自分自身の劇団を作り、翌'38年には今や伝説となっているラジオドラマ「火星人来襲」で全米をパニックに陥れる。

 映画『クレイドル・ウィル・ロック』は、『デッドマン・ウォーキング』で高く評価されたティム・ロビンス監督の最新作。物語の中心はミュージカル劇「クレイドル・ウィル・ロック」がいかに誕生したかだが、物語の中には当時の政界や産業界の大物たちや他分野の芸術家も多数顔を出し、不況から立ち直り、やがて戦争へと向かう1930年代後半のアメリカを立体的に描き出そうとしているようだ。芸術を発展させるために絶対必要な表現の自由が、政治の動向によって少しずつ圧迫されていく時代。戦後苛烈を極めた共産主義に対する弾圧が、政府内では既に始まっている。「クレイド・ウィル・ロック」の上映が妨害されたのは、それが組合活動を描いていたからだとこの映画は指摘する。人々は共産主義革命に共感し、組合活動も好意的に見ていたが、政府や資本家たちはそれを好まない。クライマックスで「クレイド・ウィル・ロック」の上演とディエゴ・リヴェラがロックフェラー・センターに描いた壁画の破壊を同時進行させることで、この映画は政府や資本家による芸術に対する無理解と弾圧を告発する。そして腹話術師の人形の葬列を現代に持ち込むことで、同じような無理解と弾圧が今も続いていることをほのめかす。

 監督のティム・ロビンスは脚本も書いているのだが、僕はこの映画の焦点がどこに置かれているのかよくわからなかった。特に主人公を置かない群像劇だが、それにしたって何人かポイントになる人物はいたっていいと思う。この映画はそれがひどく曖昧だ。人間関係をもっと整理すれば、ドラマとしての強さがもっと出たと思う。

 1930年代後半は、それまで活躍していたニューヨークの演劇人たちが一斉にハリウッドに行ってしまった時期。僕は「クレイド・ウィル・ロック」というミュージカルを知りませんでしたが、これはそんなに画期的なものだったんだろうか? 前年にはワイルとアンダーソンの反戦ミュージカル「ジョニー・ジョンソン」も上演されている。問題は組合のミュージカルを上演することに、政府の金を使うことだったのかな。

(原題:Cradle Will Rock)


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