ホワイトアウト

2000/07/05 東宝第1試写室
織田裕二主演の和製『ダイ・ハード』は巨大ダムが舞台。
せっかくのロケがあまり実を結んでいない。by K. Hattori


 雪に閉ざされた山奥の巨大ダムを武装占拠したテロリスト集団。彼らはダム職員とダム下流の住民20万世帯を人質に、日本政府に対して50億円の身代金を要求する。たまたま人質になることをまぬがれたダム職員の富樫輝男は、孤立したダムの現状を周囲に知らせ、仲間たちを救出すべく行動を開始する。だが周囲は吹雪による白い闇。はたして富樫は、無事事件を解決できるのか?

 製作が発表された段階から和製『ダイ・ハード』と言われていた、織田裕二主演のアクション映画。わざわざそう言われなくても、映画を観た人なら誰もが『ダイ・ハード』を連想するであろう作品だ。周囲から孤立した高層ビルのパーティー会場に代わり、周囲から孤立した巨大ダムを舞台にしたのは大きな違いだが、主人公だけが人質になりそびれるとか、周囲に内部の様子を知らせるために単独行動をするとか、最後は結局主人公の超人的な体力と負けん気と運のよさで事件が解決してしまうところなど、すべては『ダイ・ハード』を踏襲している。『ダイ・ハード』のヒット後、同工異曲の映画が多数作られたが、この映画はその中でも出色の出来映えと言っていいかもしれない。もちろん本家本元には及ばないが。

 若松節朗監督は織田裕二主演のドラマを数多く演出したテレビ畑のディレクターで、映画監督をするのは今回が初めてらしい。テレビだろうと映画だろうと、やっていることは大して変わらない。テレビ出身でもきちんとした映画らしい映画を撮る人は大勢いる。しかし若松監督は、テレビ出身者が陥る落とし穴に簡単にはまってしまっているのが残念。せっかくこれだけの規模が用意された映画なのに、規模の大きさがまったく感じられない絵作りには首をひねってしまう。どうしてもっと引きの絵がないんでしょうか。どうしてもっと長回しをしないんでしょうか。出演者もスタッフも、雪山のロケはさぞ大変だったでしょう。でもその「大変さ」が、主人公の陥っている「大変さ」となって、画面からまったく伝わってこないのです。なぜアップを多用するのか。これではスタジオで撮っても同じじゃないか。

 僕が感じた一番の不満は、タイトルにもなっているホワイトアウトという現象を、きちんと映像化できていないことにある。雪と風とガスによって、視界が完全にふさがれてしまう恐怖。その中でパニックになりそうになるのを抑えるのが、手の中に握りしめたコンパスなのでしょう。ところがこの映画では、このホワイトアウト現象を主人公のクローズアップで済ませてしまう。デジタル処理を使えば主人公が白い闇に包まれる場面なんて簡単に作れるんだから、ここぞというところできちんと「絵」を観せてほしかった。あと残念なのが、主人公が雪の中を単独でラッセルして行く場面を、やはりアップで細かくカット割りしてしまうところ。これは『大いなる幻影』のように、遠景に小さな点として見えた人影が、どんどん手前に近づいてカメラの前まで来るという絵にしてほしかった。それで主人公の苦闘ぶりがわかります。


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