クロコダイルの涙

2000/06/08 徳間ホール
ジュード・ロウが現代の吸血鬼を演じる異色サスペンス。
自己愛を乗り越えられない人間の悲劇。by K. Hattori


 『イグジステンズ』や『リプリー』などに出演し、最近日本でもメジャーになりつつあるジュード・ロウ主演のサスペンス映画。監督は'80年代に香港で映画を撮っていたレオン・ポーチ。主人公スティーブン・グリルシュは次々に女性を口説いては生き血を吸って殺す現代のヴァンパイア(吸血鬼)だが、自分のそんな生き方を半ば受け入れ、半ば嫌悪しながら暮らしている。彼が何十人目かの獲物として目を付けたアン・レヴェルズという女性に近づいている頃、完全に処分したはずの遺体が偶然発見されてしまう。警察が殺人事件捜査に動き出し、ベテランのヒーリー警部はグリルシュを容疑者としてマークする。警察の尾行と監視の中、グリルシュとアンの関係は少しずつ深まっていくのだが……。

 今までにヴァンパイアをモチーフにした映画はたくさんあるが、この映画はその中でもかなり異色のもの。主人公グリルシュは血を吸わなければ生きていけない人間だし、吸った血の中に残る女たちの感情を体内で結晶化させて吐き出すという特技(?)の持ち主。人間らしい感情を持たず、いつでも冷静沈着だ。しかし彼は決して超自然の存在ではない。夜毎にコウモリやオオカミに変身するわけでもなく、視線の魔力で女たちを虜にするわけでもなく、十字架や聖水に悲鳴を上げるわけでもないし、日光にさらされると煙を上げるわけでもない。グリルシュは身分証や社会保障番号を持つ人間であり、生活のために病院で技師として働いている。女性を口説くための手練手管は彼の美貌と努力の結果であって、何か不思議な力で女性たちの心を操っているわけでもない。彼は自分が生きるために、自分を愛する女を殺さなければならないという宿命なのだ。

 映画のテーマは「他者の愛情」と「自己愛」の相克だと思う。我々は愛する人のために自分の命を投げ出すことができるだろうか? 愛する人に殺されるとしたら、それで本望だとあきらめがつくだろうか? グリルシュに殺される女が最後に見せる表情は、いつだって「恐怖」と「憎悪」だった。生命が危険にさらされたとき、人間は本能的にまず自分の身を守ろうとする。そこには他者に対する「愛情」が入り込む余地などないのか?

 ジュード・ロウの物憂げな表情と、ヒロインのアンを演じたエリナ・レーヴェンゾーンがいい。グリルシュはブルガリア系という設定で、レーヴェンゾーンはルーマニアの出身。東欧は吸血鬼伝承の故郷だから、こうした設定と配役によって物語に神話的な雰囲気が生まれる。この映画はプロダクション・デザインや衣装などの美術面も素晴らしい。ディテールまで緻密に作り込まれていて、観ていて飽きません。地下鉄の駅に現れるギャング・グループのファッションも格好良く決まっているし、グリルシュが女たちに手渡す名刺のデザインまでかっこいい。映画の最後のオチは腑に落ちないのですが、全体の雰囲気がすごくいいのでこれは欠点のうちに入らない。カルトムービーになるかもしれない映画だと思います。

(原題:The Wisdom of Crocodiles)


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