人狼
JIN-ROH

2000/04/17 メディアボックス試写室
押井守が原作・脚本を担当した沖浦啓之監督のデビュー作。
アクションシーンの演出がかなりハード。by K. Hattori


 『GHOST IN THE SHELL/甲殻機動隊』の押井守が原作と脚本を担当し、同作でキャラクターデザインと作画監督を担当した沖浦啓之の監督デビュー作となった長編アニメーション映画。物語の舞台は昭和30年代の東京。しかしこの東京は、我々の知る世界とは異なった歴史を持つもうひとつの東京だ。進駐軍の占領が終わり、独立国としての主権を回復した日本国内では、与党と野党の政治対立が深まり、学生たちの反政府運動も加熱。街頭で行われる大規模な政治闘争に手を焼いた政府は、警察でも軍隊でもない第三の武装組織「首都圏治安警察機構(首都警)」を設立。圧倒的な機動力を誇る首都警は非合法化された反政府組織を鎮圧し、先鋭化した反政府組織は地下に潜って武装ゲリラ化する。重武装した首都警の隊員は「ケロベロス」と呼ばれ、人々の怨嗟の対象とされるようになっていく。

 主人公はケロベロスの一員である伏一貴。反政府ゲリラの掃討作戦に参加していた彼は、若い女性ゲリラを追いつめながら、目の前でみすみす自爆されるという失態を犯す。やがて彼の前に表れたのは、死んだ女性ゲリラの姉と名乗るひとりの女、雨宮圭だった。しばしばデートを繰り返すようになるふたりだが、伏はしばしば死んだ女の幻影に苦しめられる。そんな伏と雨宮の様子を、首都警公安部が秘かに監視していた。彼は知らず知らずのうちに、政府内部で秘かに進行するパワーゲームの中に巻き込まれていたのだ。公安部が恐れる警備部内部の秘密組織「人狼」とは何か。伏と雨宮の恋の行方は……。

 組織と個人の関係を描いた政治映画だが、この映画は両者の関係を狼と赤ずきんになぞらえることで、ある種の寓話性や神話性を得ることに成功している。この手の政治映画では「非情な組織」と「弱い個人」の葛藤がテーマになることが多いが、本作では一見弱そうに見える個人の内部に、組織に依存して非情な生き方を貫くことに安らぎを感じる要素があることを指摘する。地下構内で自爆した女性ゲリラは、ためらいながらもなぜ組織の運動に殉じたのか。それは彼女自身が組織に依存していたからだ。立場は違えども、主人公の伏も同じような人間だ。だからこそ、彼は死んだ女ゲリラに惹かれていく。昨今は「組織のために命を投げ出すのはマインドコントロールされた結果だ」という単純な意見が正論とされることが多く、その結果例えば「戦争中の日本人は政府にマインドコントロールされていた」といった意見が大手を振ってまかり通っている。でも本当にそうなのか? 人間はそこに安らぎを感じれば、いとも簡単に組織の中に身を投じることを選び取るのではないか? 個人が弱いせいでもなければ、騙されていたわけでもない。すべて納得ずくで、個を捨て組織に殉じるのが人間だ。

 組織はしょせん個人の集まりでしかない。組織と個人を二元論で語ることなく、両者を分かちがたいひとつのダイナミックな働きと見るところに、この作品の政治映画としての成熟がある。多少理屈っぽいけどね。


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