小さな赤いビー玉

2000/04/11 メディアボックス試写室
ホロコーストを生き延びたユダヤ人少年の物語。
1975年のジャック・ドワイヨン作品。by K. Hattori


 『ポネット』のジャック・ドワイヨン監督が1975年に撮った作品。1941年のパリ。ロシア系ユダヤ人のジョッフォ一家は下町で小さな床屋を営んでいる。フランスは前年ドイツの攻撃を受けてあっさりと降伏し、パリでもユダヤ人への迫害が始まっていた。ジョッフォ一家の床屋にも「ユダヤ人の店」という看板が掲げられ、胸にユダヤ人を示す黄色い星を縫いつけて歩くことが強制される。外国からフランスに逃げ込んだユダヤ人は次々に検挙されている。やがてドイツの手はフランスの全ユダヤ人に向けられるだろう。ジョッフォ家のふたりの兄は、ドイツの手が届かない南仏に逃れる。両親は12歳のモーリスと10歳のジョゼフも、兄たちのもとに逃そうとする。危険を突破して無事南仏で再会する兄弟たち。やがて両親もパリを逃れ、一家はニースで束の間の平和な暮らしを取り戻すのだが……。

 原作はジョゼフ・ジョッフォの自伝的小説。映画もジョゼフ少年の視点で描かれている。ナチスによるフランスの占領時代とそこで起きたユダヤ人迫害を、10歳の少年の目が見つめ続ける。彼らはユダヤ人であることを隠し、ナチスの手をかいくぐりながら生き延びる。しかしこの映画は、生と死のドラマをことさら大げさには描かない。映画の中ではごく当たり前のようにユダヤ人が連れ去られ、ごく当たり前のように消えてしまう。あまりにも淡々とした描写だが、戦争中の人間の死というのは、こうした平凡な風景だったのかもしれない。

 この映画にはガス室も強制収容所も貨物列車での輸送も登場しない。そうした残酷な風景は、日常生活からは切り離されたところに存在する。もちろん人々は何が行われているのかを知っているのだ。しかしそれを目の前に突きつけられさえしなければ、人々はそうした事実に対して冷淡になれる。この映画の主人公はユダヤ人の少年なので、人が消されることの向こう側にある残酷な死が、身近な問題として描かれている。しかし非ユダヤ人にとって、それがどれほど重大な問題だっただろうか。戦後にホロコーストの実体が明らかにされたとき、ヨーロッパ人は「ユダヤ人を見殺しにした」として非難された。でもユダヤ人は人々の目の前で殺されるのではない。ただ目の前から「消える」だけなのだ。反ユダヤ主義が根強かった当時、消えるユダヤ人を気にかける人などほとんどいない。今の日本で不法滞在の外国人労働者を誰も気にかけないように、当時のヨーロッパではユダヤ人の運命を誰も気にしなかった。人間は自分と無関係な人々の境遇に対して、どこまでも無関心になれる。

 この物語を、もっとドラマチックに描くこともできただろう。でもドワイヨン監督は、あえて淡々とした日常の延長に出来事を描く手法をとった。しかしその日常と危険との境界には、ふとしたきっかけで大きな穴が開いてしまうのだ。ホテルにかり集められたユダヤ人たちは、それからどこに連れ去られたのか。モーリスがキスをしたユダヤ人の女性は、その後どうなったのか……。

(原題:UN SAC DE BILLES)


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