怪談・蛇女

2000/04/10 シネカノン試写室
中川信夫が東映で監督したオーソドックスな怪談映画。
山城新吾のスケベぶりがいかにも。by K. Hattori


 『東海道四谷怪談』の中川信夫が、昭和43年に東映で製作した怪談映画。話はかなりチャチだが、この時代の東宝映画だからセットや美術はしっかりしたものです。お話も先日観た『地獄』などに比べれば『四谷怪談』に通じる怪談ものの黄金パターンを踏襲している分わかりやすく、安心して観ていることができる。意外性はまったくありませんが、映画の最後に巡礼姿の主人公たちが登場して浄土へと向かっていくイメージは面白く、何となくキン・フーの『侠女』を思い出しました。復讐の後は宗教的な救済しか残されないのでしょうか。

 時代は明治初期。文明開化から取り残されたような田舎の小さな村では、大地主による過酷な農村支配が行われていた。借金まみれの上に胸を患い、地主の馬車にすがりつきながら返済の猶予を願い出ていた小作人が、馬車に跳ね飛ばされて死んでしまう。残された妻と娘は土地を地主に取り上げられ、残った借金は地主の家で働きながら返すことになる。母親は台所仕事の手伝い。娘は土蔵の中で機織り仕事。家の主人は母親に色目を使い、道楽息子は娘の方にチョッカイを出し始める。そんな気配を知ってか知らずか、家の奥方は母子にことさら辛く当たるのだった。やがて母親が些細なことで家の主人に蹴り殺され、娘は頼るものもなくひとりぼっち。やがて娘を虎視眈々と狙っていた地主の息子が、計略を巡らして娘の純潔をけがす。一度は死のうと考えた娘も、村にいる恋人のことを考えて思いとどまる。しかしその恋人の目の前で地主の息子に犯されるに至り、ついに娘は自らの命を絶ってしまう。娘の恋人は地主の息子に復讐しようとして婚礼の席に乗り込むが、思いを遂げられないまま非業の死を遂げる。文字通りの踏んだり蹴ったり人生。これでは化けて出ない限り浮かばれない。

 映画の前半は徹底したイビリとイジメの繰り返し。小作人を虫けら扱いする地主一家にいかに虐げられようと、小作人一家は反抗することなく我慢に我慢を重ねる。そういう生き方しか知らないのだ。人間として自分たちも地主と同じ権利があるとか、人として幸せになる自由があるなどという発想がそもそもない。幽霊というのは、反抗することすら知らない弱い人間たちの、唯一の反抗と復讐の手段だったのかもしれません。現代のようにみんなが権利意識に芽生えてしまうと、かえって幽霊が活躍する余地はなくなってしまうのかもしれない。この映画の中で一番恐くて滑稽なのは、死んでも小作人根性が抜けないまま「旦那さま〜、おら土かじっても借金を返します」と地主に詫びる西村晃だったりする。これは恐い。「うらめしや〜」より数段恐いよ。

 怪談話としてはオーソドックスな作りで、新婚の新妻の柔肌が蛇に変わるという、エロとグロがミックスされた描写もなかなかオツなもんです。どうでもいいけど、地主の息子を演じた山城新吾の顔がパンパンに膨れ上がってる。最初は別人かと思っちゃったよ。下品な金持ちのボンボンという役が、いかにも似合います。


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