あの子を探して

2000/03/13 SPE試写室
中国の田舎の小学校に来た13歳の代用教員の奮闘記。
チャン・イーモウ監督の最新作。by K. Hattori


 『菊豆』『紅夢』『紅いコーリャン』のチャン・イーモウ監督最新作。日本では『上海ルージュ』以来久しぶりの新作公開なので、楽しみにしている人も多いと思う。物語の舞台は山奥の村にある小学校。たったひとりの教師だったカオ先生が母親の看病のため1ヶ月の臨時休暇を取ったため、13歳の少女ウェイ・ミンジが近所の村から臨時教師として派遣されてくる。ウェイにとってこれは、1ヶ月50元という雇われ仕事。元気いっぱいの子供たちを前にして不安そうなウェイに、カオ先生は「もし1ヶ月後に子供たちがひとりも減っていなければ、特別にボーナスとして10元を支給しよう」と約束する。こうしてウェイの教師生活が始まった。

 中国の近代化ぶりは日本でもテレビなどでさかんに紹介されているが、この映画を観ると、トータルではまだまだ貧しいということがよくわかる。小学校にも通えないまま、稼業を手伝い、都会に出稼ぎに出かける少年少女たち。主人公のウェイも中学を出ないまま小学校の代用教員を始めるし、クラスで一番の腕白坊主ホエクーは、小学3年生で都会に働きに出なければならなくなる。カオ先生は半年近く給料の支払いが滞っており、臨時雇いのウェイに支払う金も村にはない。教室は4,50年前に建てたボロボロの掘っ建て小屋。机の脚は1本折れたまま。教室には時計もなく、柱の釘を日時計にして授業時間を決めている。毎日学校に通ってくる生徒もいるが、教室に寝泊まりする生徒もいるのは、学校から離れた遠くに家があるということだろうか。

 都会に働きに出されたホエクーをウェイが探しに行き、村に連れ戻すまでがこの映画のクライマックスです。奉公先にたどり着くことなく、ホエクーは駅で行方不明になっている。勤め先でホエクーの世話をすることに決まっていた少女が、無責任にも駅ではぐれた彼を置き去りにしてしまったのだ。そんなことも知らぬまま町にやってきたウェイは、なけなしのお金を使ってホエクーを探し回る。その必死さが、映画を観るものの胸を打ちます。

 この映画を観てびっくりしたのは、中国の都市には浮浪児たちが大勢いて、それが普通の光景になっているということ。田舎から出てきた少年が行方不明になっても誰も大騒ぎしないし、腹を空かせたホエクーが市場に行けば、そこでは食べ物を恵んでくれる人たちがいる。逆説的なことですが、社会が貧しくないと人々は施しをしないものです。浮浪児の存在が日常の風景だから、人々はそれに施すという習慣も失っていない。豊かな今の日本で、腹を空かせた子供に食べ物を恵んでくれる人がいるでしょうか。たぶん難しいと思うぞ。

 ホエクーを見つけられないままお金を使い果たしたウェイが、屋台の残り物を盗み食いする場面は涙が出そうになった。昨年のベネチア映画祭で金獅子賞を受賞した作品。聖書に出てくる「よい羊飼い」のたとえ話を連想させる物語は、欧米人の観客にもわかりやすかったことでしょう。ウェイとホエクーの涙に感動します。

(原題:一個都不能少)


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