太陽は、ぼくの瞳

2000/02/23 日本ヘラルド映画試写室
盲目の少年と父親の絆を描いて、なんだか腑に落ちない映画。
監督は『運動靴と赤い金魚』のマジッド・マジディ。by K. Hattori


 イランの映画監督マジッド・マジディの脚本監督最新作。前作『運動靴と赤い金魚』ですっかり感動させられてしまった僕は、今回の映画にも大いに期待していた。でも残念ながら、これは僕の求めている映画ではなかったようです。『運動靴と赤い金魚』にはあったユーモアが、この映画には少しもない。とにかく悲惨。とにかく暗い。最後にものすごいスペクタクルがあって、ラストシーンには小さな救いの余地が用意されているものの、それにしたってこれはひどすぎる。

 映画は夏休みを間近に控えた盲学校の風景から始まります。全寮制の学校が3ヶ月間の休みにはいるということで、学校には生徒を迎えに来る親たちが次々に訪れる。でもこの映画の主人公モハマドだけは、最後までベンチでポツンとひとりぼっち。母親のいないモハマド少年は、父親が自分を迎えに来てくれないことを恐れて不安な表情。ようやく学校に来た彼の父親は、息子を家に引き取れないので、引き続き学校で面倒を見てほしいと先生たちに懇願する。じつはこの父親、間もなく近くの村の美人やもめと再婚する予定になっており、目の見えない息子が何かと邪魔っけなのです。悲しいことに、モハマド自身もそのことに薄々感づいています。

 モハマドを連れて家に帰った父親は、何度も何度も「この子さえいなければ」と考える。「いっそのこと、事故か何かで死んでくれないだろうか」と考える。ひどい話です。父親は結局、遠く離れた村の大工に息子を押しつけてしまう。『運動靴と赤い金魚』であれほど家族の絆を強く訴えかけてきた監督が、次の作品では子供を捨てようとする父親と捨てられる息子の関係を描いているのです。やりきれません。

 こういう話は現実にたくさんあるのでしょうし、それを映画にしてはいけないという法もない。ただ僕は、この父親がなぜ子供を忌避するのか、その理由がまったくわからなかった。生まれたばかりの赤ん坊じゃないのです。息子の目が見えないなんてことは、10年近くずっとわかっていることじゃないか。学校の休みがいつなのかも、ずっと前からわかってる。そろそろ息子が盲目だという現実を受け入れたってよさそうじゃないか。仮に自分の結婚に息子が邪魔なら、息子が学校に行っている間に結婚話を進めればいいだけの話じゃないか。なぜこの父親には、そうした知恵が働かないのだろう。祖母も妹たちも、ごく当たり前にモハマドを家族として受け入れているのに、なぜ同じことが父親にはできないのか?

 こういう父親がいたって構わないし実際にいるんだろうけど、それならそれで、そうなるに至った理由をきちんと描いておいてほしかった。「ああなるほど、それなら無理もないな」と思える理由なしに、観客がこの父親を受け入れることはできないし、同情もできない。ただひたすら盲目の息子が父親にひどくあしらわれる映画を観ているようで、なんだか嫌な気分になるばかりでした。いい場面もたくさんあるんだけどね……。

(英題:The Color Of Paradise)


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