手をつなぐ子等

2000/02/15 TCC試写室
『無法松の一生』の稲垣・宮川コンビが作った子供映画。
感動的な物語。技術もバッチリ。by K. Hattori


 『無法松の一生』の名コンビ、稲垣浩監督と宮川一夫カメラマンが組んだ最後の作品。脚本は伊丹万作。映画が製作されたのは昭和22年だが、物語の時代背景はそれより10年前の昭和12年になっている。知恵遅れで他の生徒にとけ込めない中山寛太少年は、3回も転校してようやく親身に世話を焼いてくれる先生に巡り会うことができた。先生の指導で周囲の子供たちは寛太を優しく見守り、彼の友達として仲良く遊ぶようになる。寛太がすっかり教室に馴染んだ頃、金三という悪たれ坊主が転入してきて、寛太に何かと意地悪をしたりイジメたりするようになる。寛太が反抗しないのをいいことに、金三のイジメはどんどんエスカレートしていく……。

 ずっと虐げられ続けてきた知恵遅れの子供が、優しい先生や友達に囲まれて幸せになりましたという話なら、単なる道徳の教材みたいで面白くも何ともない。この物語の面白さは、途中から悪たれ小僧の金三が登場して、まとまりかけた教室に激しい波風が立つところにある。他の子供がかばったり守ったりしている寛太の欠点を、金三は容赦なく突いてくる。彼のやっていることは要するに卑劣な弱いものイジメなのだが、同時にそれは、周囲がかばって目立たなくしている寛太の本質的な問題を、遠慮会釈なく暴いてしまう役目も持っているのだ。金三がこの映画に登場しなければ、寛太は周囲から保護されて、その保護の中だけで幸せに暮らしていける。でも金三が現れただけで、その保護はあっという間に消え失せてしまうのです。金三は新しくできた子分衆を引き連れて、寛太をはやし立て、小突き回し、馬鹿にし、騙し、指さして嘲笑する。そして周囲の子供たちも、そんなイジメを遠巻きにながめて笑っている。「今の子のイジメは陰湿だ。昔のイジメはもっとからっとしてた」なんて大嘘です。イジメは昔も今も、陰湿で嫌なものです。

 この映画では先生が子供たちをすべて理解し、一段高いところから優しく厳しい眼差しを向けて熱心な指導をすることで、寛太は見違えるような成長ぶりを見せ、金三の固くいじけた心もほぐれていく。たいへん立派な先生だと思いますが、今の学校にはこんな先生が活躍できる余地などないでしょう。何しろこの先生は「今はもう少し様子を見ましょう」と言って、生徒の父兄から上がってくる金三へのクレームを押しとどめてしまう。今はなかなか、こんなことできないんじゃないかな。でも昔もやっぱり難しいことだったから、これが映画になるんでしょうけどね。「昔はこんな先生が大勢いた」という話では決してない。いい先生は、昔も今もまれなのです。

 この映画はオーバーラップとモンタージュの処理が非常に美しく、『無法松の一生』のコンビの面目躍如。オーバーラップされた落書きが動き出すのにはビックリした。芝居の場面でもカット割りがじつに効果的。ボリュームのある話なのに映画がコンパクトにまとまっているのは、編集の巧みさによるところが大きいと思う。観ていて気持ちいい映画で、これは大傑作です。


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