ラスト・ハーレム

2000/01/19 徳間ホール
映画に登場するハーレムは1909年までトルコに実在した。
ハーレムの実体を描いた異色の女性映画。by K. Hattori


 ハーレムとはイスラム諸国の家屋や宮殿などで、婦人たちが暮らしている場所のこと。一般にはスルタンや豪商の夫人や愛妾たちが暮らす後宮のことをハーレムと呼ぶ。中国皇帝の後宮、徳川将軍家の大奥みたいなものだ。この映画は今世紀初頭(この言い方が可能なのも今年限りだな……)までトルコに実在した巨大ハーレムを舞台に、女たちの権力への欲望や宦官との打算ずくしの愛人関係、さらにオスマン・トルコ滅亡にともなうハーレム閉鎖を描いたドラマ。監督・脚本はイスタンブール出身のフェルザン・オズペテク。物語の中心はマリー・ジラン演じる愛妾サフィエとアレックス・デスカス演じるナディールという宦官。ふたりはハーレムという小さな独立国の中で権力の頂点を目指して挫折し、ハーレム閉鎖と共に浮き世に放り出されてしまう。

 この映画は語り口に仕掛けがある。ハーレムの中で女官のひとりが語る「ハーレムの最後を目撃したスルタン愛妾の昔話」と、駅の待合室で若い女相手に老婆が語るハーレムの思い出がメビウスの輪のようにつながっているのだ。老婆が若い頃の思い出を語るだけなら、『タイタニック』や『プリティ・リーグ』『フォー・ザ・ボーイズ』と変わらない。この映画はそれをもう一段ひねって、思い出話の中で未来を語らせている。物語の中で、ハーレムは滅びることなく永遠に生き続ける。それがこの映画がこうした構成を取った理由だろう。

 上映時間は1時間46分だが、物語が駆け足過ぎて何が何だかよくわからない。エピソードのつながりが悪い部分もあるし、説明不足なところも多い。これはきっと、長い映画を短くしてしまったに違いないと思ったら、やっぱりそうだった。この映画、トルコ版では上映時間が2時間5分ある。フランスで公開された版も1時間50分ある。日本で公開されるものが、一番短いのです。しかし、ハーレムの中と駅の待合室でふたりの女が物語を語るという凝った構成のこの映画では、1時間46分という上映時間はやはり短すぎる。物語が十分に語られる前に、映画はしばしば「語り手の介入」によって連続性を断ち切られてしまうのです。なぜ配給会社がこのプリントを買い付けたのかはわからないが、どうせならトルコ版の2時間5分バージョンを観せてほしかった。

 何やらエロチックな想像力を働かせる「ハーレム」という場所の実体を、事細かに描いているのは面白い。映画はイタリア、フランス、トルコの合作で、監督もトルコ出身だから、あまり出鱈目な風俗交渉もないはずです。ハーレムが閉鎖されて女たちが路頭に迷う場面など、観ていてじつに気の毒だった。幼い頃からハーレムという世界しか知らない女たちは、スルタンを追放した共和軍の将校たちから「君たちを解放する」「今日から君たちは自由だ」「親や親戚のもとに帰りなさい」と言われても嬉しくも何ともない。行き場のない若い女たちは、言葉巧みに他の場所に連れ去られ、年老いた女たちは寒空の中で身を震わせる。彼女たちはどこに行ったのか……。

(原題:Harem Suare)


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