差出人のない手紙

2000/01/17 シネカノン試写室
若い女が老人に仕掛けたイタズラが男を破滅させる。
人間は幻想の中でこそ精神の安らぎを得る。by K. Hattori


 郵便局に勤めながらアパートで独り暮らしをしているアンドレス老人と、その階上に住む若い女性記者マリアナ。夜毎マリアナのたてる騒音がもとで、アンドレスは眠れない日々が続いている。アンドレスとマリアナの関係は最悪だ。口うるさいアンドレスに辟易したマリアナは、ある日ちょっとした悪戯を思いつく。アンドレス宛に匿名のラブレターを書いて、彼のドアの下にすべり込ませたのだ。アンドレスは熱烈な文面に引き込まれ、匿名の求愛者と幾度か手紙のやりとりをした後、私立探偵に大金を払って差出人を突き止めようとする。私立探偵が探し出した相手は、町はずれで男たち相手に身体を売る中年の娼婦だった。彼女が探偵のでっち上げた差出人だと知らぬまま、アンドレスは彼女を不幸な境遇から救い出そうと涙ぐましい努力を始めるのだが……。

 1995年に製作されたメキシコ映画。監督はこれが3本目の監督作となるカルロス・カレラ。第17回ナント三大陸映画祭でグランプリを受賞した作品だが、この作品をなぜ今日本で公開しなければならないのか、その理由はまったくわからない。悪い映画ではないし、それなりに感銘は受けたし考えさせられる部分もあるが、なぜ製作から5年もたってから、この映画が公開されるんだろうか……。いい映画であることは間違いない。でもこれは、観た人が幸せになるとか、感動のあまり涙が出てカタルシスを感じられるとか、そういう一般受けしそうな要素がまったく感じられないのです。観ていても「ああ、馬鹿だなぁ」とか「見ちゃいられないなぁ」と思うばかり。映画を観終えた後は、気持ちが重くなる。

 映画の中で探偵は「真実が安らぎを生むとは限らない」とアンドレスに言う。(偉そうに人生の真実を語るくせに、この探偵はけちなペテン師なのだが……。)アンドレスにとっての安らぎは、自分が誰かに愛されているという“幻想”の中にある。人間はこうした甘美な幻想を目の前に突きつけられると、それがどんなに突飛で現実離れしたものに見えようと、その誘惑に打ち勝つことはできない。ましてやアンドレスは、間もなく人生の終幕を迎えようという老人だ。彼にとってはこの恋が、人生で最後の恋になるかもしれないのだ。彼は自分でも柄にないことだと自覚しつつ、あえて目の前にあるリスクたっぷりの恋の冒険に足を踏み入れていく。恋は盲目とはよく言ったもので、恋をすると人間は自分が信じたいものしか信じなくなり、見たい物しか見えなくなる。目の前にある不合理を小さな反証材料で覆い隠し、その向こう側にある真実から目を背ける。目の前に真実を突きつけられても、固く目をつぶって真実を認めない。

 第三者にはすぐわかる偽りの愛の不毛が、本人にだけはわからないのだ。アンドレスは娼婦テレサの真実が見えず、マリアナも同僚記者の不誠実から目を背ける。最後の瞬間、アンドレスはマリアナの表情からすべてを悟る。だがそれでも、彼は目の前の真実から目をそらし、あえて独りよがりな幻想を選択したように見える。

(原題:SIN REMITENTE)


ホームページ
ホームページへ